其の百一 勝敗や損得、巧拙を超えたところに、どう意識を置くか…

勝ちを焦り、儲けようと躍起(やっき)になり、巧くやろうとして慌(あわ)てると、無心からどんどん離れていきます。勝とうとするほど部分に囚われ、儲けようと思うほど相手(お客様)の気持ち(希望)から遠ざかり、巧くやろうと考えるほど表面を取り繕うことにもなります。

そうして、イライラして呼吸が浅くなり、重心が上がって腰(丹田)の力が抜け、視野が狭くなって失敗し易くなるのです。そうならないためには、勝敗や損得、巧拙を超えたところに意識を置く必要があります。

勝敗は、あくまでそのルールの中で決まる一つの結果に過ぎず、相手に勝つことよりも自分に勝つ(負けを含めて自己成長する)ことのほうが大切です。儲けることは大事だが、それは世間の役に立ち、お客様に喜ばれた結果であるべきでしょう。巧くやれるよう技術を向上させることは重要だが、ずる賢いことをしてまで巧くやれたかのように見せかけるのは本末転倒です。

それらに陥ることなく無心になっていけば、自分と相手、自分と対象物が一つになります。それを「一如」と呼び、「氣」が合ってくれば「相手と自分の呼吸のリズムが一致し」、心に対立は無くなっていくとのことです。沖導師は、次のように教えます。

「無心になって呼吸のリズムをコントロールすることが対象物と一如(ヨガ・調和)になる秘訣である。相手の人と気の合っている時には、相手と自分の呼吸のリズムが一致しているときで心にも対立はない。

このリズムは人間のみでなく宇宙の万物がもっているものであって、このリズムを把握したものが諸道の達人であり、農法であれ、機械の操縦であれ、能力が最高に発揮できるときである。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房88頁)

そして、そのリズムは「人間のみでなく宇宙の万物がもって」おり、「このリズムを把握」すると「諸道の達人」となります。それは農業でも「機械の操縦」でも同じで、一如や調和、あるいは「むすび」といったキーワードに、能力を「最高に発揮」する心得があるというわけです。(続く)