其の百 上手にやろうと思うほど、心は乱れ、重心が上がる。そういうときは…

人目を気にし、立派にやろう、上手にやろうと思うほど、心は乱れ、重心が上がり、思うような結果は得られず仕舞いとなります。それは、心の乱れが体に影響を与え、呼吸が乱れるからです。

そういうときは、下腹の丹田に力を入れると、心が落ち着いてきます。そして、その状態を維持するためには「無心」でなければならないと沖導師は説きます。

「心が乱れると体の働きもまた乱れてしまう。晴れの場所で立派に上手にやろうと思っていても、あがってしまって思うような結果の得られないことが、往々あるのは無心でないために呼吸が乱れてくるからである。この時ヨガの呼吸法で下腹に力を入れると心が落着いてくる。そしてこの時無心であると落着いた状態を続けることができるが、無心でないとまた心が乱れてしまう。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房88頁)

では、「無心」とは何かというと、心の中に「二つの考え」が起こっていない状態のことだそうです。勝ちたい、でも負けるかもしれない。儲けたい、でも損するかもしれない。上手くやりたい、でもダメかもしれない、といった二つに対立した考えが生じてしまうと「心身の統一」が起こりません。そのままだと、考えが部分観に陥り、目先に心を奪われ、行動に一貫性が無くなっていき、失敗を重ねることにもなるわけです。

「無心とは心の中に二つの考え(迷い)の無い状態である。二つの考えというのは勝とう、負けるものかとか、損だとか得だとか、できるとかできないとかいうように対立した考えのことである。この考えを起すと、この考えに即応して計い、且つ行動してしまうから、行動に狂いを生じて思わぬ結果を見ることがあるのである。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房88頁)