「物事の真実を把握するためには、そのものがそのままに受けとれなくてはならない。真実が受取れるためには平静心、平衡体でなければならない。平静となるためには無対立、無条件でなければならない。要求を持ち、差別を持つと乱れてくる。有無を超えた状態つまり空になって始めて全体を受取る心・全体を受取る体となれるのである。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房57頁)。
物事の真実、それを大和言葉でマコトといいます。マコトは真言(まこと)であり、真事(まこと)でもあります。真言と真事、どちらもマコトであるというのは、言葉と事実の一致を前提にしています。そうであれば「言う」が「成る」ことになり、「誠(まこと)」となります。
また、マコトは「信(まこと)」でもあります。信は「イ(にんべん)」+「言」だから、人の言葉です。人の言葉が信じられるから、信という漢字がマコトと訓読みされたというわけです。
では、物事の真実をどう把握したらいいかというと、物事をありのままに受け取るカムナカラ(かむなから)の哲理が必要となります。カムナカラのカムはカミの撥音便、ナカラは「さながら」「しながら」のナカラ(ながら)です。従ってカムナカラは「かみさながら」であり、ありのまま、自然のままという意味の大和言葉です。
そして、物事の真実をカムナカラに受け取るためには、「平静心」や「平衡体」が必要であると沖導師は説きます。平静心や平衡体は、囚われや偏りの無い心、バランス(平衡)の取れた体のことです。
かみさながらにして、ありのままに物事の真実を覚る心と体。カムナカラな「ものの見方や感じ方、考え方や行い方」の基本として、筆者は主観・客観・表観・裏観を融合した「四観」を提唱しております。(続く)