手元や身近なところを大切にせよという教訓の続きです。それらは、空間的に近いところであると同時に、時間的にも近いところであるということを、大和言葉の世界観によって述べました。
さて、宋代の名臣に、仁宗・英宗・神宗の三代に仕えた清献公(諡は趙抃、1008~1084)という人物がおりました。清献公は、急進的な改革を目指す王安石(1021~1086)とは意見が合いませんでした。
宋は北方諸国を懐柔するための歳幣(金品)と、官僚組織を維持するための支出に悩まされ財政危機に陥ります。これを打開するため、神宗の任命により宰相となったのが王安石でした。改革の基本は、大商人や大地主の利権を抑えることで中小商工業者や一般農民らを救い、合わせて財政を黒字に転じさせるところにありました。
諸改革は、上手く進んだかに見えましたが結局失敗します。既得権益を握っている保守派官僚や富豪たちの猛反発を受けたのです。その根本的理由は、「急いては事を仕損ずる」という諺の通り、改革を急ぎ過ぎたことにあったのです。
安石の改革に参加した者たちは、自分たちの成績だけを競い合うようになっていき、人心が離れてしまったのです。教条主義的で改革一本槍の王安石は、遠くの理想ばかり追ってしまい、手元がよく見えなくなっていたというわけです。
《徒然草:第百六十七段》其の二
「何事も、外に向かって求めてばかりいてはいけない。ひたすら手近なところを正しくすればいいのだ。清献公の言葉に、「善い事を行って、先々の事を問うてはいけない」とあるではないか。
世を保つ方法も、そういうことであろう。国内政治に慎重さが欠け、軽はずみで、勝手気まま。そうして秩序が乱れると、遠国が必ず背(そむ)くことになり、そのときになってはじめて対策を求めてしまう。「風に当たり、湿度の高い場所で横になり、病気になってから神霊に(平癒を)祈願するのは愚か者のすることである」と医書に書かれているのと同じだ。
そういう人は、まず目の前にいる人の憂いを除いて恵みを施し、道を正していけば、その感化はやがて遠くに及ぶという事実を知らないのだろう。禹王が(南方の蛮族である)三苗(さんびょう)に遠征したとき、(諫めによって)軍隊を引き揚げたが、(内政に)徳を敷くことには及ばなかったのである。」
※原文のキーワード
何事も…「よろづのこと」、手近なところ…「ここもと」、善い事…「好事」、先々の事…「前程」、国内政治…「内」、慎重さに欠け…「慎まず」、軽はずみで…「軽(かろ)く」、勝手気まま…「ほしきまま」、秩序が乱れると…「みだりなれば」、対策…「はかりごと」、湿度の高い場所で横になり…「湿に伏して」、祈願する…「訴ふる」、書かれている…「いへる」、除いて…「やめ」、及ぶ…「流れむ」、感化…「化」、軍隊を引き上げ…「師をかへし」(続く)