ところで、聖人と称えられている孔子は、若い頃随分目立ちたがり屋だったという説があるのをご存じでしょうか。いつも背伸びしており、優秀で偉い人と思われないと気が済まないタイプだったというのです。
そんな孔子が、あるとき周の都の洛陽に行き、道家の老子に「礼」について尋ねました。老子は一目見て孔子の思い上がった性格に気付き、次のように答えます。
あなたが話す中に出てくる昔の聖人は、既に亡くなって骨さえも朽ち果ててしまった。今はただ、空しく言葉が残っているだけだ。君子も、時勢を得れば偉くなって馬車に乗る身分となるが、時勢を得なければ蓬が風邪に飛ばされるように転々とするだけさ。
また、良い商人は品物を奥深いところに収蔵しているから店先は空に見え、君子は徳が盛んでも容貌はまるで愚者のように見えるものだ。
まず、驕り高ぶった偉そうな様子と、自己中心に偏った願望を捨てなさい。そういう性格は、あなたにとって何の益にもならない。私が言いたいのは、そんなことだけだ。
老子は質問された「礼」については何も答えず、こうして初対面の孔子に向かってズシンと響くことを告げてやりました。
孔子も立派です。退出してから弟子に向かって、老子は龍の如き人物であると感想を述べています。
この話は司馬遷の『史記』に出ているのですが、研究者の多くは二人の出会いを認めていません。本としての『論語』と『老子』を比較すると、記述内容から孔子の教えをまとめた『論語』のほうが、老子が残した『老子道徳経』よりもずっと古いことが分かります。だから、孔子のほうがはるかに年上であり、そもそも存在時代が違うから出会えるはずがないという結論に至るのです。
しかし、「老子」には「よく練れた人物」という意味があり、老子的人物ならばどの時代にも存在しています。孔子は何者かがハッキリしているから一人きりですが、身を隠して生きる老子の場合、何人かの老子が存在していても別段おかしくはありません。もしかしたら、何人かいる中の、最初の老子が若き孔子に出会っていたということかも知れませんね。(続く)