其の百十三 刺々しさが次第に薄れ、奥深くから氣(オーラ)が滲み出てくる!

あまり便利すぎると、却って「人の力」が鈍ることがあります。ナビに頼るほど勘が鈍り、消費期限の日付だけ信じるようになれば嗅覚が鈍ってしまいます。
昔の人は、食べても大丈夫かどうかを匂いで自己判断していたものです。

《徒然草:第二百二十九段》
「優れた細工師は、少し鈍い刀を使うという。妙観の刀は、あまり鋭くなかった。」

※原文のキーワード
優れた細工師…「よき細工」、あまり鋭くなかった…「いたく立たず」

妙観という人は僧侶でしょうが、伝不詳とされていたり、当人と目される人物が複数いたりして判然としません。一番有力なのが、摂津の勝尾寺で観音像を彫っていた、妙観という奈良時代の僧です。

妙観は優れた細工師でしたが、使用する刀は「あまり鋭くなかった」とのこと。優秀な細工師が用いるのだから、刀の切れ味も鋭いと思われて当然です。ところが、少し鈍い刀を使っていたというのですから何だか驚きです。

少々手慣れた人ほど、切れ味の鋭い刀によって上手な細工をこなすのでしょうが、真に優れた技術者になると、少し鈍いくらいの工具のほうが丁度いい場合があるようです。手作業による微妙な風合いを求められているようなときがそうです。

当然のことながら、精度の高い製品を造るのであれば、それに見合った精巧な道具が必要となります。しかし、妙観が細工するのは、宇宙に一体しかない仏像です。材木の中から魂のこもった仏様を彫り出さねばならず、そのために敢えて鈍い刀を使ったというわけでしょう。

人間も、本当は鋭いのだが、やや鈍く生きているというくらいのほうが、人物としての貫目や器量が養われます。やれるのにやれないふりをし、知っているのに知らないふりが出来るかどうかです。

それは、出し惜しみを勧めているのとは全然違い、表面的な知力や能力だけで世を渡ろうとするような軽薄さを戒めているのです。

兎に角、それが出来るようになると、優秀であるがゆえの刺々(とげとげ)しさが次第に薄れ、やがて奥深くから氣(オーラ)が滲み出てくるようになるはずです。(続く)