其の百六 自分自身をも、他人をも頼りにしないという心得…

何かを頼りにしてはいけない。依頼心を断て。そういう心得を述べる兼好法師は、さらに「自分自身をも他人をも頼りにしない」よう諭します。そうすれば「是なるときは喜び、非なるときは恨まない」と。

「是」は物事が順調なとき、「非」は不調なときのことです。自分をも他人をもあてにしなければ、たとえどういう結果が現れたとしても、さほど動揺しないでいられます。はじめから期待していないのだから、好結果が出たら素直に喜べばいいし、悪い結果が出たとしても、そのまま受け止めて酷く恨むことはありません。

なかなか難しいことですが、囚われを捨て、拘りを解き、依頼心や依存心から離れていけば、何物も頼りにしない心理状態に至ります。そうすれば、いちいち上手くいかなくて残念に思ったり、あてが外れて憤ったりすることが少なくなります。そうして「(心の)左右が広ければ妨げは起こらず、前後に幅があれば塞がらな」くなるとのこと。

この心の持ち方というものは、とても重要で、広ければゆとりがあって物にぶつからないが、狭ければやたらと何かにぶつかっては摩擦を起こすことになります。それが重なれば、とうとう「押し潰されて砕け」てしまうのです。

心の広さや幅は、まさに心の持ち方そのものです。心の余裕が「少しで厳格なときは、物に逆らい、争って破れ」てしまいます。反対に「ゆとりがあって柔らかなときは、少しも損なわれない」で済むことになります。

こうして兼好法師は、心を広く取るために、頼りにする心、即ち依頼心や依存心の度合いを下げよと教えたのです。それが少なければ心は広くなり、多くて他をあてにし過ぎるようだと心は狭くなる一方というわけです。

それから、自分をも頼りにしないという教えの中に、自分が信じている事をもあてにしないという心得があると思います。たとえ正しいと思っている事であっても、気付かぬうちに何らかのバイアスが掛かっており、偏った意見に染まっているということも起こり得ますから注意が要ります。(続く)