其の百五 やたらに逆らってくる人は、実は心が脆い…

自分の考えと違う意見を聞いたとき、たちまち反発しては激しく文句を言う人がいます。どれくらい異なる見解なのかという程度にもよりますが、何かにつけ逆らっては批判を口にする人が随分いるものです。

そういう人は、自分の考えを、己を支える価値観として、あてにし過ぎている可能性があります。それが本当の信念ならば、違う意見を聞いても、それはそれとして一旦は容認出来るはずです。自分の信念と同じく、他人の信念をも(それなりに)敬えるからです。信念という支柱によって、たとえ賛成はしなくとも、そういう意見もあるのだなと受け止められるだろうと。

何かにつけ、やたらに逆らってくる人は、強い人ではなく実は心が脆いのです。内なる精神が弱いから、どうしても外をガードしなければなりません。それで頻繁に反発したり、文句を言ったりして、自分を守ろうとしているのだろうと推測します。

また、生まれつきの性格や、困苦による心の歪みで、やたらに逆らうようになっている場合もあります。それとともに、何かを学んだことで養った信念がまだか細く、その“細い棒”にすがってしまっているときに、狭量となって周囲から面倒な人だなと思われてしまう状況が生ずるのではないかと思います。

《徒然草:第二百十一段》其の二
「自分自身をも他人をも頼りにしなければ、是なるときは喜び、非なるときは恨まない。(心の)左右が広ければ妨げは起こらず、前後に幅があれば塞がらない。

狭いときは押し潰されて砕ける。心の用い方が少しで厳格なときは、物に逆らい、争って破れる。ゆとりがあって柔らかなときは、少しも損なわれない。」

※原文のキーワード
自分自身…「身」、他人…「人」、妨げは起こらず…「さはらず」、幅があれば…「遠ければ」、狭い…「せばき」、押し潰されて砕ける…「ひしげくだく」、厳格な…「きびしき」、逆らい…「さかひ」、ゆとりがあって…「ゆるくして」、少しも…「一毛も」(続く)