其の百四 短所や欠点よりも、むしろ長所や得意で身を滅ぼす…

人間は短所や欠点よりも、むしろ長所や得意で身を滅ぼします。短所や欠点は、物事が上手くいかない原因にはなるものの、必ずしも失敗や破滅の元にはなりません。

また、苦手な分野であれば、最初からあてにしていません。もともと期待していないのですから、予想通りダメであっても、そのこと自体で、ひどく落ち込んだり危機に陥ったりすることは少ないはずです。

そこで、兼好法師は「何事も頼りにしてはいけない」と語りました。何かを深く頼りにすればするほど、当てが外れたときに「恨んだり怒ったりすることに」なります。そういう何かにもたれ掛かる姿勢は、「愚かな人」のやることだと率直に教えたのです。以下、兼好法師の種々の指摘を述べましょう。

「勢いがあるからといって頼りにしてはいけない。強いものから、まず滅びてしまうものだ」とのことですが、歴史上あらゆる大国が、内が腐ったところへ外から攻められて滅び、多くの権勢を誇った指導者が失脚しています。その原因は、勢力や権勢の強さ自体にありました。勢いが一転し、自滅の元になったのです。

「財産が多いからといって頼りにしてはいけない。一時の間に失いやすいものだ」と。財産が多ければ、つい浮かれて浪費が重なり、お金目当てのお調子者たちに周囲を取り巻かれ、金品をせびり取られる事態が起こります。一旦贅沢な暮らしに慣れると、なかなか節倹な生き方への切り替えは出来ず、気が付けば財産が底を衝き、あっという間に転落することは世の常でしょう。

「学才があるからといって頼りにしてはいけない。孔子も時世に合わなかった」というのは、学問で身を立て弟子の育成に努めた孔子ですが、なかなか孔子の教えを受け入れようとする国や指導者が現れませんでした。結局孔子は、十分な活躍の場を得られないまま人生を終えてしまったという事実を率直に指摘した言葉です。

「人徳があるからといって頼りにしてはいけない。(孔子一番弟子の)顔回も不幸であった」。これは、人徳と幸福が必ずしも比例しないという現実をもとに、己の徳の高さをもあてにしてはいけないという心得を述べたものです。どんなときでも人徳の高さで乗り越えられると思ったら大間違いで、それよりも武力や法の力を生かさねば打開不能な場合があるものです。顔回ですが、彼は若くして病死しました。健康であるということも、大事な幸福の要素でしょう。

「君主の寵愛も頼りにしてはいけない。誅罰を受けることすみやかである」という教訓について。これは、我々が人生の中で経験している愛情の変化への指摘でしょう。人から愛されたり可愛がられたりしても、いつまで続くか分かりません。相手の気持ちは条件が変わることで簡単に冷え易く、そもそも愛情などというものは不安定で長続きしないのが世の現実なのですから、これもあてにしてはいけないと。

「郎党を従えているからといって頼りにしてはいけない。そむいて逃げることがあるものだ」。これは、数多くの子分や部下を抱えていたとしても、地位を失って権勢が衰えれば、皆あっけなく離れていくという事実を言わんとしています。中には何があっても付いて来てくれる者もおりますが、そういう義に篤い人は極めて希なものです。

そういうことから、「人の好意も頼りにしてはいけない。必ず心変わりするものだ」と。好意というのは、あくまでその人の主観で示されるものであって、気持ちが醒めたり、関心が他に移ったりすれば、あっけなく切られてしまうのが人の情というものです。それを一々嘆いていても仕方ないことでしょう。

そうして「約束も頼りにしてはいけない。信義のあることは少ないものだ」と述べました。約束を守るコツは約束をしないことだというくらい、約束は守れないのが普通です。だからこそ、信義に生きることが武士道において尊ばれました。

これらの兼好法師の見解は、否定的で暗い思考と思われるかもしれませんが、決してそういうわけではありません。その否定の向こうに、人生に対する大肯定があると筆者は考えます。一切をあてにしないからこそ、身も心も軽くなって、騙される事も裏切られる事も無くなるという、非情に満ちた世の中を、雑草の如く強靱に生き抜いていくための心得なのです。(続く)