大学進学以外に、もう一つ捨てたことがあります。それが政治家への道です。鍼灸の専門学校を卒業した筆者は、インドの思想が知りたくて、静岡県三島市にある求道実行会密教ヨガ修道場という道場に住み込みで入りました。導師は沖正弘という、戦後の日本にヨガを草分け的に導入した人物で、道場名としては沖ヨガ修道場で知られています。
その道場に一年余り住み込んで研修に励みましたが、そこで学べるのは、いわゆるヨガのポーズといった類(たぐい)のものから、もっと激しい行法に至るまでいろいろありました。体の歪みを正すための修正法や、持っている力を最大限に引き出すための強化法等です。眠っている力を出し切れ!非常時に発揮する力を、日常いつでも出せるようにせよ!というのが沖導師の教えであり、そのために大変厳しい鍛錬が行われたのです。
そのヨガ道場にいる間に、専門学校時代にお世話になった人物から、経営の神様の松下幸之助さんが今後、日本の指導者育成のための塾を始めるから君も受験してみないかと誘われました。アジアの時代に向け、21世紀日本のリーダーを育成するという目的に心動かされ、兎に角挑戦してみたところ、三次に亘る試験に何とか合格し、晴れて第一期生となりました。
創立期の松下政経塾は、各界の指導者育成に目標を置いていたものの、松下塾長の第一の願いは、やはり政治家の育成にありました。ならば私も、いつかは選挙に出て議員を目指そうと思っていましたが、結局政治家の道は選ばず、その育成という方向に進むことになります。
しかし、それは議員への道を“捨てた”というよりも、志士政治家育成への道に自然に落ち着いたというほうが正確な表現でしょう。実際、自分の中に選挙に出て議員になるというイメージが湧いて来ず、自身が政治家になるということに熱意を持てなかったのです。
それでもまあ、何度か議員を目指そうと思ったことがありました。でも、そういうときは不思議なもので、いつも何らかの問題が目の前に立ちはだかります。そうして、選挙に出られないほうへ、出られないほうへと誘導されてしまいました。
だから、大学への道は確かに捨てたものの、政治家への道は天から導かれなかったわけです。しかし、そのお陰で思う存分、文明論(文明法則史学)や日本学(大和言葉や古事記)、東洋思想などの探究に勤しむことになり、それ(綜學)を基に本氣で志士政治家の育成に励むことが出来たのですから、私の天命は志士人物育成の帝王学指南にあったわけです。
筆者は不器用ですから、自分自身が議員を務めながら、同時に政治家を育てるといったことは難しいです。東洋日本思想家として歩んできた私には、構築した綜學という全体學によって、こつこつ志士人物の養成に励んでいくという道が合っていたのです。また、それしか無かっただろうと。
こうして筆者には、東洋学を極めて世界を救うという第一義を貫く上で、一つは確かに捨て、もう一つは縁をいただけなかったという意味で“捨てた”ということではなかったかと振り返る次第です。
なお、現在私は、高野山大学大学院修士課程に在籍し、仏教学や密教学の研究に励んでおります。この歳(65歳)になって大学院に入った訳は、東洋学の中で仏教だけ師に付いて学んでいなかったので、ここできちんと専門の教授から学ぼうと思ったことにあります。
そして、空海密教の全体観と綜學には共通点が多く、きっと綜學の進化に繋がると推測したことも理由です。また、東洋学探究のため「もし行くならここだな」と、高校のときに志望していた大学が、実は高野山大学だったということも理由の中に入っております。(続く)