戦闘に勝った、敵城を奪ったと喜んでいるだけではダメです。勝利後の占領政策がきちんと行われませんと、抵抗運動が激しく起こるなどして統治の負担が多くなり、却って国家の「凶事」ともなります。敵の人民が占領軍の方針に従わず、ゲリラ戦などで激しく抵抗して来るですから、勝利までの軍費が無駄となり、その後の費用も嵩(かさ)みます。結局、掛けた軍費が無駄になり、その様子を孫子は「費留」と呼びました。
「そこで、賢明な君主は費留とならないようよく考え、優良な将軍は費留とならないようよく修め」ました。本国の君主と現場の将軍の、双方が軍費の無駄遣いを戒めたのです。敵を攻めることに明らかな利があれば動くが、そうでなければ動かず、勝利して「獲得する物が無ければ軍を用いず」、そもそも「危機で無ければ戦わない」というのが指導者の心得です。
従って、君主にも将軍にも冷静さが強く求められました。「君主は怒りで軍を起こしてはならず、将軍は憤りで戦いを始めてはならない」のです。国家と国民にとって「利に合えば動き、利に合わなければ止めればいい」と。
人間は感情に起伏があり、「怒りは後で喜びに変わるし、憤りは後で悦びに変わる」ことが出来ます。しかし、忿怒(ふんぬ)によって戦争を起こしてしまえば、「亡国となった後で国が存続することは無いし、死者となった後で人が生き返ることも無い」のです。そこに火攻めが加われば尚更です。
「だから賢明な君主は(意味の無い戦争を起こさないよう)慎重にし、優良な将軍は(意味の無い戦闘を起こさないよう)戒め」ました。「これが国家を安んじ、軍隊を全うする方法である」という言葉で『孫子』第十二章・火攻篇が締め括られたのです。こうして、無駄な戦争は決して起こしてはならないという
のが、孫子の兵法の基本なのです。(続く)