こうして現地の判断が尊重されるべきなのですが、その際、現場の総指揮官に自問自答して欲しいことがあります。それは、個人の感情を判断に挟さまず、無私の心で人民と君主のために尽くすという覚悟の有無です。
人は有能であればあるほど、私利私欲で身を滅ぼし易くなります。ここで勝てるぞ!と思えば、名誉を獲得するチャンスの到来に気が逸(はや)ります。気が逸れば、心の重心が上がって全体が観えなくなります。視野が狭まれば、あっけなく敵が仕掛けた罠(わな)に填(はま)り、大敗を喫することになりかねません。
また、名誉や評判を気にする者ほど、進軍したら負けると分かったときに考え方が歪んでいきます。戦いを避けて臆病者に思われることを憂えたり、命令に反して兵を引いた後の処罰を心配したりするのです。そうして、負けることよりも人気が下がることを気にし、罰を受けることを恐れたまま、本国の命令通りにずるずる兵を進めてしまいます。その結果、多くの兵士の命を失うことになるわけです。
そこで、孫子は「(命令に反して)進んでも勝利の名誉を求めず、(大敗を免れるために)退いても(命令違反の)罪を恐れない」よう諭しました。
勝利の名誉は要らず、命令違反で処罰されても平気でいる。そういう達観した精神を持ち、「ひたすら人民を保護」することと、「君主の利益に合う」ことを考えているのが「上級将軍」です。もしもそのような筆頭指揮官がいれば、まさに「国の宝」と呼ぶことの出来る人物に違いありません。
国宝といえば、司馬遷の「史記」の中に「一隅を守り千里を照らす(守一隅、照千里」)者が国宝であると書かれています。守るなら一隅を固く守り、照らすなら千里の遠くまで照らす者が国宝なのです。この逸話を元に、伝教大師最澄は「照千一隅、これ則ち国宝なり」と言われました。(続く)