その120 部下への注意が、反発を生むことなく行き届くための心得

次に、部下に間違いを指摘したり、罰を与えたりするときの注意事項です。それが上手く行くときの条件を一言で言えば、「上司の人間そのものが信頼されていること」に尽きます。人間自体が信じられているなら注意がしっかりと行き届くでしょうが、不信に思われ、軽蔑されているような場合は、「あんたにだけは言われたくない」と反発を受けることにもなりかねません。

上司としては、なかなか言うことを聞かない部下にいきり立ち、何とか指示に従わせようとして、少しのミスでも細かく注意したくなります。それは、上司の真面目さの表れです。ところが、これは規則だから、罰を与えるのが決まりだからと騒いでいるようでは一向にダメで、益々嫌われてしまうことになります。

信頼を得るというのは、部下に懐かれている状態に他なりません。懐かれていないまま罰を与えてしまうのが一番いけないわけで、そのことを孫子は「兵士がまだ懐いていないのに罰してしまうと、心服してくれない。心服してくれなければ、用いるのは難しい」と強調しました。

但し、失敗や過失があっても、過度な温情主義によって罰しないというのもいけません。「兵士が既に懐いているのに罰を行わないでいると、(馴れ合いとなってしまって)用いることは出来ない」とのことです。

では、どのようにして懐かれ、心服を受けたらいいのでしょうか。それには、やはり教育が基盤となります。まず「教育で部下と心を合わせ」、その上で上役の「武威で部下を統制する」のが良いと。武威とは、武将の威厳による求心力のことです。

教育や教化は、それによって何が正しくて何が間違いか、何をすべきで何をしてはならないかを明確にさせていくところに意義があります。言い換えれば、考え方の基本や動き方の基準を確立するのが教育の目的なのです。指導者や統率者がちゃんと部下を教化し、学んだ内容が共通言語化していけば、次第にお互いの意識が重ね合わさっていき、きっと必勝の組織となっていくはずです。
(続く)