其の十六  安泰に生きられる立場、出世が約束される世界を離れ、やがて自分の流儀へ

何であれ、已むに已まれぬ思いから新しい分野を開拓したり創造したりする人は、どこかで“既存の価値”を捨てています。安泰に生きられる立場、出世が約束される世界などを捨て、納得のいく境地を求めたのです。そして、世間の冷視と孤独に耐えつつ、苦労辛酸を嘗めながら自分の流儀というものを創っていきました。

そういう生き方は、特別な人たちだけが選ぶ道なのかというと決してそうではありません。創造者ばかりでなく庶民の人生においても、何かを捨てねばならない場面がやって来ることがあります。そのとき、誰だって迷いと悩みに襲われます。そういう我々のために、兼好法師は第一義(一番大切な事)を重視することの大切さを説きました。

当時の人々が心から求めていたのが、家を捨て世間を離れて仏道修行に励むという出家でした。意を決しての出家に、求道心を持つ者の第一義があったのです。現代人の我々からは想像し辛いことですが、来世で極楽浄土(苦しみの無い安楽で清浄な世界)に生まれ変わることを強く願っていました。そのためには仏様のご加護をいただかねばならず、それには名利への欲望が渦巻く俗世を離れる必要があったのです。

奈良時代から平安時代へと続いた社会秩序は、藤原道長時代が過ぎる頃に下り坂となります。荘園経済が次第に老朽化して格差を広げ、経済不安が全国に波及。生活に苦しむ百姓の愁訴が増え、放火や盗賊が横行。不満を持った大寺の僧徒による強訴が繰り返され、反乱が各地で発生。疫病も流行りました。

丁度この社会不安に合わせるかのように、末法思想が世に広がります。釈迦の入滅後、次第に仏法が衰えていき、やがて末法の世に入ると、教えのみが存在して悟る者がいなくなるとのことです。即ち、極楽に往生出来るのは大変難しい時代に入りました(西暦1052年が末法初年)。時代は平安時代から鎌倉時代へと移りますが、兼好法師の頃の人々も、末法の世にあって何とか救われたいという切実な願いを、身分の上下を超えて等しく抱いていたのです。

そこで、出家修行が一番重大事なのだから、それ以外の物事は全部捨てよと。

しばらく先延ばしし、まずこの事をやり遂げてからとか、せっかくここまでやってきたのだから、ちゃんと始末してからとか、中途半端なままで人から笑われないようにしなければとか、将来に問題が起こらないよう処理しておいてからとか、これまで長年俗世に生きてきたのだから、出家はまだ先でいいとか、とにかくせっかちにならないようにとか、そういう悠長な考え方でいるからダメなのであって、そうこうする内に避けられない出来事や新たな用事が次々起きてきて、結局思い切って踏み込めないまま人生を終えてしまうというわけです。

そして、知識学問があって、世間の評判を苦にする傾向の強い人たちほど、そういう考え方によって一生を雑事に追われて過ごしてしまうとのことです。(続く)