一回限りの人生なのですから、迷ったときは自分にしか出来ないほう、後悔しないほう、命を懸けて惜しくないほうを選ぶべきです。
そのためには、自分にとって人生最高の目的は何なのかについて、普段から自問自答しておかねばなりません。そこがしっかりしていないと、いろいろな雑事や細事に関わっているうちに、一生があっという間に終わってしまいます。
兼好法師の時代、仏道修行によって悟りを開き、「目覚めた人」になることが人生究極の目的でした。宇宙の原理である「ブラフマン(梵)」と、自分の本体である「アートマン(我)」が一体(梵我一如)であるということに目覚めた者。それがブッダ(仏)であり、梵我一如となって迷いの世界を超え、永遠の真理を体得するところに悟りの本質があったのです。
その悟りのためには、世俗を離れて仏道修行に入る必要がありました。でも、人は誰でも世間的な用事を抱えており、なかなか仏道修行一本に向かうことが難しいです。そこで兼好法師は、一番大事なことを選んで他は捨てよと厳しく諭します。
《徒然草:第五十九段》其の壱
「(出家修行という)大事を思い立つような人は、避けることが出来ず気に掛かるような事の目的を、やり遂げなくていいから、そのまま捨ててしまうべきである。
「しばらく待って、この事を果たし終えてから」とか、「同じことなら、あの事を始末しておいてから」とか、「これこれの事、(中途半端なままでは)人から笑われるかも知れない。将来、問題が無いよう処理しておいてから」とか、「長年こうして(在俗の身で)きたのだから、その事を待ったとしても時間は掛かるまい。せっかちにならないようにしよう」などと思っているならば、避けられない事ばかりが、いよいよ重なってきて用事の尽きる際限も無く、結局(出家を)思い立つ日なんて来るはずが無い。
大体、人を見ると、少し分別のある分際(階級)は、皆こうした心づもりで一生が過ぎてしまうようである。」
※原文のキーワード
避けることが出来ず…「さりがたく」、気に掛かるような事…「心にかからん事」、目的…「本意」、そのまま…「さながら」、しばらく…「しばし」、始末…「沙汰」、これこれ…「しかじか」、笑われるかも知れない…「あざけりやあらむ」、将来…「行く末」、問題が無いよう…「難なく」、処理しておいてから…「したためまうけて」、長年こうして(在俗の身で)きたのだから…「年来(としごろ)もあればこそあれ」、時間は掛かるまい…「ほどあらじ」、せっかちにならないようにしよう…「もの騒がしからぬやうに」、避けられない事…「えさらぬ事」、いよいよ…「いとど」、際限…「限り」、大体…「おほやう」、分別のある分際(階級)…「心あるきは」、心づもり…「あらまし」、一生…「一期」(続く)