自力と他力という言葉があります。自力は自分の力、他力は他者の力です。
前者が自分で道を切り開いていく力であるのに対し、後者は他者の助けを得て生きていく力となります。
しかし、両者は本来一体です。自分で道を切り開くと言っても、他者との関わりが無いまま進むことは出来ません。また、神仏の力など他力にすがり、一切をお任せすると言っても、本体としての自分がそこにいなければ意味がありません。
結局は自分という命を基盤に、自分が為せる事を成していくしかないのです。
「ヨギは神と自他が一つであると自覚しているから、すべての責任を自己に求めて、救いを他に求める心が生れない。またわれと離れた神が救ってくれるとか、あるいは現実を離れた悟りがある(相対)かのように思うのは間違いであって自己陶冶以外に解決法がないことを自覚している」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房61頁)
ヨギは、ヨガの行者のことです。ヨギは、神と自分と他者を区別せず、一体であることを自覚しています。神は大宇宙の根源のことであり、天地自然の原理(働きや作用)を意味します。他者は、自分以外の人たちは勿論のこと、環境や森羅万象も含んでいると考えていいでしょう。
大宇宙の根源力が一切に及び、あらゆる存在を成り立たせているならば、当然のこと自分と他者は融合一体であり、自分の在り方次第で全世界に影響を与えられることになります。
そうして、全ての現象に対する責任が、この自分にあるという考え方に到達します。電信柱が高いことにも、郵便ポストが赤いことにも、大宇宙が存在することにも、この自分は何らかの責任を負っていると。
電信柱が高ければ、電線に引っ掛からないですみます。だから、この自分も恩恵を受けています。郵便ポストが目立つ赤色(※世界各国で色が異なる)であれば、すぐ発見出来ます。だから、この自分も恩恵を受けています。大宇宙が存在していることで、この自分も命をいただいて誕生しました。こうした恩恵を思えば、全てに責任を感じてくるというわけです。このことについて、別の例え話を述べましょう。(続く)