沖正弘先生の奥様である、沖満佐子先生の文章をご紹介します。奥様は、一般人とかけ離れた夫の“超人的な生き方”に接し、通常の善悪を超えている考え方に疑問を感じ、常に葛藤(かっとう)しつつも学びを深めていかれたようです。
「自分で考えたくないものが派をつくって争っているのです。例えば、食物の例にしてみても菜食がよいだの、肉がなくてはいけないのだとか、また生食がよいとか、煮たものでなくてはいけないのだのとね。皆一理はありますし、それに適っている人もあるでしょう。しかしそれだからといって、自分だけへの真実をそのまま全体への真実といってよいものでしょうか。しかもそれらのグループをつくって自己流の善悪を他の人に押しつけていますが、これは誤りを生じやすいことです。狭く偏った視野の考え方は、自他共を誤らせてしまうということに考え及ばないのでしょう、この点をじっくり考える広い視野の持ち主になる練習を我々はしなくてはならないと思います。」
(1970沖正弘『ヨガ叢書第二巻 生活を正す』霞ヶ関書房p.35.)
この文章は現代文ですから、特に“意味を訳す”必要は無いでしょうが、出版されてから半世紀も経っています。そこで、下記のように言葉を補うことで
分かり易くしてみました。
「自分の頭で考えることをしない者たちが、一派を作って争い合います。
食べ方では、菜食主義、肉食主義、生食主義、火を通した煮物食主義など、いろいろな主義があります。それぞれ理屈があって、確かにその食べ方が相応しい人がいることでしょう。
しかし、自分にとって良い事(真実)が、そのまますべての人にとって良い事(真実)かどうかは分かりません。
それにも関わらず、主義を主張するグループを作っては、自分たちが信じる善悪を他人に押し付けようとします。そこから誤りが生ずるのであり、部分に偏った考え方では、部分的に正しくても、全体に取っては間違ってしまうことになるのです。
この「部分と全体の問題」を、じっくり考察出来る「広い視野の持ち主」となれるよう、哲学思想の修練を積みましょう!」(意訳ここまで)
党派を作ると、他と対立しなければならなくなるというのは、食養運動ばかりでなく、政治や宗教の世界そのものです。
人には「群れ氣(むれけ)」というものがありますから、意欲のある人ほど一党一派を作りたがります。
しかし、党派を作ると、当然のことながら「同じ主張の人たち」だけが集まって(残って)来ます。
その人たちの多くは、何らかの危機感から生じた「好き嫌いの感覚」で集まっており、一旦組織に所属すると疑問を持たず(持つことが許されず…)、そこからは殆ど自分の頭で考えようとしなくなります。
だから、その組織の教祖的指導者が言う事の、オーム返しをする人たち一色になっていきます。そうして、誰の口からも同じ事しか聞かれない、信者的なグループと化してしまうのです。
また、そういう集団は、自分たちの組織を維持するため、どうしても他と対立しなければならなくなります。似ているのに仲良く出来ず、互いに攻撃し合い、批判の泥試合に陥ってしまうわけです。(続く)