現在の民主主義では、衆知ではなく、多数知が中心になっている

こんばんは。まだまだ暑い日が続きますね!
明日は東京綜學院で、「陽明学と佐藤一斎の教え」を講義します。
知ることと行うこと、それをつないでいるのが心(本氣の熱意)です!

◆いざ大同団結!「大綜學祭り」今年の会場は大阪です!
9月22日(日)10時30分~18時30分
会場:大鳥神社(10:30~12:30)堺市立西文化会館(13:30~18:30)
参加費:5000円

世の中なんとかなるさ…
そう思っているだけでは、世の中どうにもならなくなります。
それでもなんとかなってきたのは、なんとかする側の人たちがいたからでしょう。

なんとかする側に一歩踏み出すだけで、自分に光が生じ、出会う人が変わりはじめます。

少し勇氣を出して一歩踏み出した人たちが、9月22日(日)大阪で「大綜學祭り」を開きます! 

◆日記(9月9日~13日)
・9日(月)修士論文の修正(契沖が書写した儀軌(ぎき)類の内容分類など)
・10日(火)修士論文の修正(契沖が書写した儀軌(ぎき)類の内容整理へ)
・11日(水)修士論文の修正(脚注の付け方進化)、姓名師4期オンライン指導
・12日(木)修士論文続き。実家両親を見舞い、仏壇の曾祖父母・祖父母に読経
・13日(金)空手道松濤會本部道場(東京都墨田区)で2時過半稽古

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【ご案内】
◆来春、「綜医學」講座をはじめます!
林英臣が長年に亘って説いてきた、綜合学問である「綜學」。
その各論であり、綜學の実学的集大成とも言える「綜医學」講座を、来年春(4月)から開講します。

医療人には、さらにその天職に自信をお持ちいただくために、
経営者には、会社組織をより“健康体”とするために、
政治家には、天下国家を“生命体”として発展させる「国手」となるために、
家庭人には、身近な人たちの健康増進(免疫力向上)を支える綜医學術者となるために学んでいただきたく存じます。

毎月1回、日曜日に開催します。会場は、関西(大阪)を予定しています。
時間は、午後13時から16時までの3時間で、2時間講義し、1時間は「手当て療法」や「言葉療法」、「呼吸療法」などを実習します(手当て 言の葉 長息 長生き)。

オンライン受講や録画受講も可能ですから、全国どこからでも受講できます。
現在、仮予約を受け付けております。講座内容など、詳細は下記フォームからご覧ください。
※受講料は一講1万円ですが、10回通しのお申込で11回受講できる割引制度も予定しています。
docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfKoNi_b9mkix1rofxJ1sjbnER8qwJS8ItfOyDi9faoDMxANg/viewform

◆note「孫子の兵法」その27
わけも分からないまま、しゃしゃり出るようなトップになってはいけない!
note.com/hayashi_hideomi/n/nf7b863cb32a5

◆戦前の日本がよく分かる~昭和2年刊行『大國民讀本』を読む!その18
太陽さん、ありがとお~「太陽主義」~太陽のように生きよう!

◆YouTube「綜医學(日本医学)」
~五行と心の健康~全体を循環と調和で捉える
「こころ」と「からだ」は一つ
泣くときには泣く! 怒るときには怒る!
でも感情はバランスが大事だから、泣き過ぎない、怒り過ぎない…
怒・喜・思・悲・恐~東洋医学では、感情も循環を重視する。
YouTube「綜医學」林英臣チャンネルを、是非ともご覧ください。
ご登録も宜しくお願いいたします。

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●評論・随筆●

◆現在の民主主義では、衆知ではなく、多数知が中心になっている(9月9日)

天分は、天からいただいた大切な我が持ち分…。
天分には、人類全体の天分と、個々の人間の天分があります。

それら両方の天分を生かすところに、松下幸之助が説く「民主主義の本質」があります。松下翁は、民主主義について次のようにも語っています。

「今日の民主主義は、独裁を排して、衆知にもとづこうとする社会機構の一つの現われであります。しかしながら現在の民主主義機構では、衆知というよりも、やはり多数知が中心になるのでありまして、これではまだまだ十分なものとは言えないと思うのであります。」(2002松下幸之助『松下幸之助の哲学』PHP研究所)

現在の民主政治では、「衆知」ではなく「多数知」が中心になっており、そこに問題があるという指摘です。では、「衆知」と「多数知」の違いはどこにあるのでしょうか。

◆経営の神様は、平凡な結論よりも、可能性を秘めた異見を重視!(9月10日)

松下翁の言われる衆知には、なんと「愚者の意見」も含まれているのだそうです。愚者というと些か(いささか)語弊がありますが、その中に素人の素直な意見や、部外者の客観的な意見、天才の卓越した意見などが含まれていると考えられます。

経営の神様である松下幸之助は、平凡な結論よりも、可能性を秘めた異見(いけん)を重視されました。異見は、その分野の専門家からよりも、素人や部外者、あるいは天才から出されることが多いものです。

ともかく、一部の担当者ばかりで話し合うと、平凡な結論しか出て来ず、未来は開かれ難いというわけです。

◆多数決は、そのときの雰囲氣や流行に左右され易い…(9月11日)

松下翁の言われる「多数知」に、いわゆる多数決による結論が含まれます。

多数決による多数知は、そのときの雰囲氣や流行に左右され易いものです。
賛成であれ、反対や中止であれ、しばらく経ってみると、随分偏っていたり、間違っていたりしていたことに氣付かされます。

世の中を生きる“専門家”であり、社会の“担当者”である我々国民も、しばしば平凡な意見をよしとします。

そして、自己中心的な意識の固まりである多数知に、うっかり乗せられます。
結局、多数決の結果も「部分」に過ぎないというわけです。

◆世の中のグランドデザインを描ける者を、指導者に選ぼう!(9月12日)

我々の目の前には、“流行知”というものが漂っています。
そのときの「はやり」に過ぎない流行知に流されたままですと、後になって大きく国益を損ねるような結論を、選挙等で出してしまうことになります。

問題は、素人の感性(問題意識)が無視され、部外者の意見は外され、天才の卓見(アイデア)が理解されないまま排除されてしまうところにあります。

何かを提案しても、それが異見であるほどゴミ箱に捨てられてしまいます。

そうならないためには、世の中のグランドデザインを描ける者が、指導的立場に就いていなければなりません。

世界と日本の全体を観、起こっている問題の核心を掴み、長期・中期・短期ごとの流れを読みながら、後れを取ることなく為すべき事を為していける優れた指導者が必要です。

指導者に、国史と国体と国語、伝統や国民性に対する深い理解が必要なことは言うまでもありません。

◆賢いが、部分に囚われている人が分断を起こしていく…(9月13日)

賢いが部分観に囚われている人ばかりが地位に就くと一体どうなるでしょうか?

いわゆる賢い人の中に、(部分に過ぎない)多数知の動向に敏感な人が随分います。そして、流行に乗れそうな自説を唱えては「流行知」を起こすことに熱心です。

部分に囚われている彼らが賛否を問う政策論争をすれば、はじめから相手の意見を聞こうとしないケースが多いと思われます。

意見の分かれる双方とも、「あの連中に、いくら言っても分かってくれるはずがない」という憤懣(ふんまん)を大きくし、激しい非難合戦ともなって、分断は深まる一方となるのです。

これが民主政治ならば、いつまで経っても日本は良くなりませんね。

◆苦労の意味が分かるなら・・・(9月13日)

どの道を選んでも、いろいろ起こる。でも、苦労の意味が分かるなら、その道でいいじゃないか。