はじめの志を高く大きく!

こんばんは。寒かった3月が過ぎ、いよいよ桜が満開へ向かいますね!

◆日記(3月26日~4月3日)
・26日(火)国会綜學勉強会(第76回)で佐藤一斎『言志後録』其の四を講義
・27日(水)空手道松濤會本部道場(東京)で稽古
・29日(金)関西林事務所で明日開催の古事記編纂「聖地巡礼の旅」解説の準備
・30日(土)古事記編纂「聖地巡礼の旅」~詳細は下記「評論・随筆」をご参照
・31日(日)人麿神社・入鹿神社・大日堂・春日神社に関西林事務所の守護祈願
・2日(火)浜松林事務所「神殿の間」清掃とお供物交換
・3日(水)空手道松濤會本部道場で稽古。夜は東京経世志塾で講義~西郷隆盛

◆トップにとっても、ナンバー2にとっても必須の「側近学」講座
熱海で温泉に浸かりながら研修します!
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◆林英臣YouTubeチャンネル!「ヒデぢい」5回目(6回目は来週配信します!)
治療することを、大和言葉で「手当て」と言う。
手から「氣」が出ている! 古来、日本では、手を当てることで治してきた。

チャンネルご登録も宜しくお願いいたします。

◆好評のnoteもご覧ください!「孫子の兵法」好評をいただいています!
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転載等お力添えを賜りたく、何卒宜しくお願いいたします。

◆先日開催したオンライン無料説明会(約28分間)の動画をアップしました!
大和言葉で姓名判断が出来る仕組みを、分かり易く説明しております。

◆4月スタート「やまとことば姓名師」養成講座のお知らせ!
詳細は、こちらからご覧くださいませ↓
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お申込は、こちらからどうぞ↓
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●評論・随筆●

◆はじめの志を高く大きく!◆

「志を高く大きく立てなさい。 

すべて学問というものは、はじめから志を高く大きく立て、その奥を究め尽くすまでは、決してやめてなるものかと思いなさい。

志が弱いと、学問は進みにくくなり、怠(なま)けてしまうものです。」 
本居宣長(『うひ山ふみ』)訳文:林

「最初に無いものは、最後まで無い」というわけですね。

◆『古事記』は人類の根本神話! その編纂をふりかえる「聖地巡礼の旅」◆

この度、よく分かる古事記の神々『絵本やまとことば神話』語り部である、言本師(こともとし)・言伝師(ことつたえし)の有志の皆さんと、語り部協会のスタッフとで、古事記「聖地巡礼の旅」に出掛けました(令和6年3月30日、総勢20名)。

まわったのは飛鳥・藤原の地と太安万侶の墓所(奈良市此瀬町)で、4ヵ所の聖地巡礼についてご報告します。

最初の巡礼訪問地は、明日香村の天武天皇・持統天皇陵です。参拝後、絵本読み語りご奉納をしました。天武天皇(第40代)は古事記成立につながる編纂事業をお決めになり、稗田阿禮という暗記に優れた青年に、帝皇日継(すめらみことのひつぎ)と先代旧辞(さきつよのふること)の誦習を命じました(681頃)。それは皇室の記録と豪族らの持つ伝承であり、種々の神話や伝説が、後世に正確に伝わることを願われてのご下命でした。

続いて、天武天皇と持統天皇の宮であった飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)跡へ。この宮で天武天皇のご下命があったと思われます。まさに古事記編纂における原点中の原点と呼ぶべき聖地です!なおこの跡地の下層には、大化改新時の飛鳥板葺宮跡があります。

さて、天武天皇のご下命から時が移り、持統天皇、文武天皇と御代が替わり、古事記が実際に撰上されるのは西暦712年、元明天皇(第43代)の御代でした。従って、この事業が決定されてから完成に至るまで、およそ30年の月日が流れたのでした。

天武天皇は西暦686年におかくれになりますから、その目で『古事記』をご覧になることはありませんでした。尊い事業の完成には年月を要し、死後に志が果たされることがあるものです。

次の聖地は藤原宮(ふじわらのみや)。この宮を中心に藤原京が造営されました。大和三山(天香具山、畝傍山、耳成山)に囲まれ、持統天皇→文武天皇→元明天皇三代に亘る宮(藤原宮)のあった藤原京は、おそらく天皇日継(帝紀、先紀)や先代旧辞(本辞、旧辞)など古事記編纂の原典となった諸資料が、研究・整理・保存された地であった考えられます。

そうして、聖地巡礼の総仕上げが、古事記の編纂委員長である太安万侶公のお墓参りです。太安万侶は元明天皇のご下命(711)を受け、稗田阿礼が誦習している内容を撰録しました。安万侶のお墓は、昭和54年(1979)偶然茶畑の中から発見。

墓室の中から、太安万侶の氏名が記された銅板墓誌が見つかったのです。この大発見によって、(14世紀後半の写本が最古のため)それまで偽書の疑いをかけられていた古事記は、その実在が証明されたのでした。この墓所でも、語り部の皆さんによって、絵本読み語り奉納が行なわれました。

奈良時代の和銅5年(712)に撰録された古事記は、日本書紀と並ぶ奈良時代の本ですが、その発端は天武天皇のご発意(681)にあり、元明天皇のご下命(711)によって完成(712)へ向かったのでした。そこに、稗田阿禮や太安万侶など優秀な官僚が関わったのです。

古事記冒頭部分には、宇宙のはじめ・地球のはじめ・人間のはじめが描かれています。本を書くとき、冒頭部分に最高の熱意を注ぎ細心の注意を払うものです。この一番大切な冒頭に登場する神々が、これまで名義未詳とされてきました。

理由は、大和言葉の音義が今ひとつ不明であったからです。林の師・河戸博詞先生は、大和言葉一音一音の意味を解析し、その謎を解明されました。それに基づいてまとめたのが『絵本やまとことば神話』です。

天武天皇と太安万侶公は、この度の読み語りをきっと喜ばれたことでしょう!日本に原点回帰が起こり、新しい社会秩序が誕生します。その最高の原点が古事記にあるのです。(政経倶楽部・日本政経連合総研「総研レポート」第84号より)