No.32 君子による善政を待っていたら、「待ちぼうけ」となってしまうのか

◇普通の人によって社会が成り立っている◇

儒家の基本は教化にあります。人は学問によって成長するということを前提に、人間性の高い社会をつくろうと志しています。そして、教化によって立派な人、則ち君子(くんし)が増えて徳で治まる世の中になれば、法と刑罰などというものは、必要最小限で済むようになると考えたのです。

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No.30 道家の聖人は、回りを癒す波動(オーラ)を醸し出している

◇無為を為す~為さないことを意識して行う◇

「無為」とは為さないことです。為さないことを意識して行えば「無為を為す(為無為)」ということになります。

「やらないことをやる」とは一体何だろう、回りくどい表現だと思うかも知れませんが、この「無為を為す」ところに道家の生き方の真髄があります。やれるけれども将来のためにやらないとか、作れるけれども全体を考えた結果つくらない、などという姿勢が、この「無為を為す」なのです。

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No.26 見えている世界の、もっと奥を見通す力が欲しい

◇知らなければそこで終わり◇

単なる知識では、「知の限界」がすぐにやってきます。知っているところまでしか分からない。知らなければ、それ以上どうしようもないという意味の「知の限界」であり、それでも知っているふりをしてしまえば病癖(欠点)となります。

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No.25 学べば学ぶほど、まだ学んでいないことの多さを知る

◇「知」には段階がある◇

さて、一口に「知」といいましても段階があります。単に知識として知っているのか、見識として意見が言える程度まで理解しているのかです。さらに、行動の元になるところまで学び取っていれば、その知は胆識レベルということになります。

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No.24 知っていても知らないとするのが上等

◇「知る」とはどういうことか◇

「知」という漢字は、音を示す「矢」(シ→チ)と、意味を表す「口」で成り立っている形声文字です。「口」は、べらべら喋る様子を表しており、話すには知識が必要なことから「知る」という意味になりました。

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No.23 どんな分野であれ、何歩も先を行く先覚者が必要

◇人を育てる基本はマンツーマンにある◇

人に何かを教え、人を育てるということの基本。それは結局、マンツーマンにあると言えます。小さな集まりの利点の一つに、マンツーマンで教え易いということがあります。会なら師匠から生徒や弟子へ、会社なら社長から社員へ、大きな集まりに比べて人数が少ない分、一人ひとりに直接教えられる機会が多くなります。

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