◇幕末志士たちも、道家の教えを身に付けていた◇
幕末の志士たちが活躍出来たのも、道家の教えを身に付けていたからです。その代表格である高杉晋作の漢詩を紹介します。
「万物元来始終あり
人生況(いわん)や百年の躬(きゅう)少なし
名を競い利を争う営々として没す
識(し)らず何の楽しみか此(こ)の中(うち)に存せむ(ぞんぜん)」
◇幕末志士たちも、道家の教えを身に付けていた◇
幕末の志士たちが活躍出来たのも、道家の教えを身に付けていたからです。その代表格である高杉晋作の漢詩を紹介します。
「万物元来始終あり
人生況(いわん)や百年の躬(きゅう)少なし
名を競い利を争う営々として没す
識(し)らず何の楽しみか此(こ)の中(うち)に存せむ(ぞんぜん)」
◇賢しらだと、知識や能力を自分中心に使ってしまう◇
人民は賢くさせるのではなく、愚かにさせよ。そう教える『老子』第六十五章の内容を、そのまま肯定する人は少ないでしょう。人民を愚かにさせよとは何事だ、教育で知識や智恵を身に付けさせてこそ、人は成長して幸せになれるはず。それなのに愚民政治を勧めるとは、人を馬鹿にするにも程があると。
◇単なる知識は、ときに人間を不感症にする◇
さらに、単なる知識は、ときに人間を不感症にしてしまいます。何事も(意思伝達の手段としての)言葉を通してしか、情報を感知出来ないという状態に陥って、感性が甚(はなは)だ鈍ってしまうのです。
「賞味期限」などという言葉も一例でしょう。あらゆる食品に賞味期限が付けられたことによって、食べられるかどうかを察知する感覚(嗅覚や味覚)が放棄されてしまいました。
◇知識が増えるほど、部分観に陥ってしまう◇
人間生活にとって知識はとても重要ですが、何事も過ぎれば害となるもので、知識も偏れば弊害が生じます。
そもそも知識の基本は「言葉(文字を含む)」にあります。言葉には、それが何であるのかを定義付けていく働きがあります。それによって理解と分類が進むのですから、言葉の働きほど重要なものはありません。
◇自己崩壊するところまで来た旧資本主義経済◇
略奪膨張型の旧資本主義経済は、資源をどんどん使い、地球環境を破壊し続け、とうとう自己崩壊するところまで来てしまいました。この流れを変えるのが、共生文明に基づく公益資本主義です。
◇そもそも「数」は観念に過ぎない◇
数字で示す評価を軽視するわけではありませんが、数値というものは、人を評価する上での指標の一つに過ぎないということも知っておくべきでしょう。哲学的に言えば、そもそも「数」は観念(頭の中で固定化された考え)でしかありません。
◇単なる強引な振る舞いを、熱心さと勘違い◇
プラスの余韻を残すべきで、徒(いたずら)に満腹にさせるだけではいけない。単なる強引な振る舞いを熱心さと勘違いしたり、しつこいだけの追究をトドメと取り違えたりしていると、本当に相手の満腹、さらに腹痛を導くだけとなってしまいます。
◇あと少しで完成するというところで失敗してしまう◇
あとちょっとのところで何故止めてしまったのか。もう少し続ければゴールに到達したのに。そんな悔いが、誰の人生にも時々起こります。
途中で嫌になる理由とは何か。一番は「飽きてしまう」ということでしょう。
以前のように成果が出ない。成長を実感出来ないから達成感が湧かない。
結局、やっていることの意味が分からなくなる。それで息切れし、気持ちが続かなくなって止めてしまうのです。
◇勝とう、勝とうと思うほど負けてしまう◇
相手に勝とう、勝とうと思うほど負けてしまう。お客様に売ろう、売ろうと
迫れば買って貰えない。そういうものだから、もっと肩の力を抜いて楽に行け。
先輩や上役は、スランプに陥った後輩や部下にそう諭します。
◇「辛酸を嘗めた昔の苦労が、その後の自分の基礎になる」◇
松下政経塾「五誓」第一条「素志貫徹の事」の中に、「成功の要諦は、成功するまで続けるところにある」という言葉があります。塾では、毎朝これを唱えました。成功の秘訣は、成功するまで諦めずに続けるところにあるという意味であり、指導者の持つべき大切な心得として、松下幸之助塾長が殊の外重視された精神です。