其の八十二 力が抜けてきたら、上達の証(あかし)

諸道諸芸の動作において、それが上達しているということを一体何によって確認したらいいのでしょうか? 

それについて沖導師は、全身で動いているかどうかを挙げています。腰と腹、つまり丹田を中心に動作出来ていることが肝腎なのです。丹田を中心に全身が一つになれば、肩や手・足の力が抜けてきて、見た目にも美しい移動になっているはずです。

「乱れのない動きのためには、中心を乱さずに動くことが大切で、腰と肚(はら)が中心で、腰と腹以外の一切の力をぬいて行うことが必要である。

いくらやっても上達しない人は腰と肚の他に力をいれてやっているからである。習字を上達し、よい球を打てるためには、手と肩に力をいれないでやる練習をつむ必要がある。手の指がよく動くためには、首と腰の緊張弛緩が必要である。腰の力が抜けると肩に力が入ってくるのである。柔道でも手足の力はぬけていなければならない。足の力がぬけているというのは、空間を歩いているような心持ちになっていることであり、手の力が抜けているというのは、手に持っているものが落ちそうになっていることをいうのである。

踊りを上達する秘訣も手足の力がぬけているかどうかにある。手足の力がぬけて、腰と肚だけで行っている場合を体全体でやっているというのである。体全体でやる時、つまり肚でやる時、はじめて奥義把握への門に入るのである。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房77頁)

習字で字を書くときも、野球で球を打つときも、柔道で相手を投げるときも、踊りで舞うときも、肩や手や足から余分な力を抜き(弛緩)、丹田(腰や腹)に中心が定まっていなければなりません。そうして、野球であればボールを打つ瞬間、武道であれば技を掛ける瞬間に、丹田から手足に軸を通し、一瞬に氣を込める(緊張)ことになります。

また、習字や舞踊であれば、筆や扇子が落ちそうなくらい手の力が抜けてくることが上達の証です。足を使う武道や舞踊では、空中を歩いているかのような軽やかな運び(運足)を感覚出来れば上達の現れとなります。

即ち「いくらやっても上達しない人」とは、肩や手・足から余分な力を抜くことの出来な人ということになります。師や先輩から的確な指導を受けることなく、自己流で勝手にやっていると、おかしな癖(くせ)ばかり身に付いてしまい、力を抜いた感覚や、力の抜きどころが分からないまま成長が止まってしまうのです。(続く)