呼吸には、吐く息(呼息)と、吸う息(吸息)と、止める息(止息)があります。それぞれ心身に影響し、呼息は心身を緩め(弛緩)、吸息は心身を引き締め(緊張)、止息は心身を統一します。
呼息の例は、ため息や笑いです。「はあー」とつくため息や、「わはは」という笑いは、しっかり息を吐くことによって副交感神経が刺激され、心身が緩みます。座禅や瞑想のときの長息(ちょうそく)や、読経や祝詞奏上のときの「吐く息の長い呼吸」も、心身が弛緩し心が落ち着きます。
吸息の例は、驚いたときや怒ったときの呼吸です。「うわっ!」と一氣に息を吸ってビックリし、「こらあー!」っと強く息を吸って怒っています。いずれも吸う息に力が入っており、交感神経が刺激されて心身が引き締まります。
また、何かの動作の習いたてのときも、呼吸が短くなり、肩を始め余分なところに力が入っています。その分、呼吸が乱れ、重心が上がって正しい姿勢を取れません。そういう状態のまま、でたらめな練習を続けていても決して上達はせず、「歪んだ動き方や乱れた呼吸の仕方をする体ができあがるだけである」とのこと。
そこで必要となるのが、間違いを正すよう「厳しい躾けと訓練を」授けてくれる指導者や先輩の存在です。ちゃんとした師について修練しないと、腰をぐっと落として体幹を鍛えるといったことが身に付かず、自分勝手な「楽な動き方」ばかり身に付けてしまうものです。それがまた、新たな隙(すき)を作っていくことにもなります。
即ち、重心の安定した正しい姿勢と、整った呼吸にもとづいた隙のない動作。これらを体得するところに、日々の鍛錬の意味があるというわけです。
なお、止息は心身を統一し、集中力を養うための呼吸です。時計を見るときや、縫い針に糸を通そうとするときなどの呼吸がそれです。(続く)