其の四十五 相反するように見える二つのものが、一つに合わさって働きとなる

沖導師は「すべてこの宇宙に必要なもので」あるから、「すべては善である」と言われました。すべてが善であれば、物事を単純に善悪二元論で捉えてはいけないということになります。

そこで、沖導師はこうも言われました。「多くの人は生と死、健康と病、悩みと悟り、表と裏を別物だと思っているが、宇宙の動きをよく見ると、この相反するように見える二つのものを合わせたものが一つの働きであることに気付くであろう。生のなかにだけ、または死のなかにだけ生命(神)があるのではなく、二つを合わせたものが生命(神)の働きである。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房61頁)

死、病、悩み、裏。これらだけを悪とするのは部分観であって、それでは全体を観ていないと。全体を観ていない以上、調和が取れず、調和が取れなければ本当に悪となってしまいます。

また、こうも言われます。「生きているのも宇宙の必要現象であり、死もまた調和を維持するために宇宙に必要なことであると、生死起伏そのままを善と受取って宇宙の計らいに自己の全部をまかし切った生き方がヨガの生き方である。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房61頁)

「死もまた調和を維持するために宇宙に必要なこと」とありますが、同様に松下幸之助塾長も「死もまた生成発展や」と教えています。死は次の発展を生むための元になっているというわけです。

表観(表から現象を観ること)すれば、あらゆる存在に始めと終わりがあります。誕生は始めであり、活動し発展すれば、やがて病と老化が起こり、そして終わり(死)を迎えることになります。確かに病や老化は辛く、死は悲しいものです。

しかし、これを裏観(裏から本質を観ること)すれば、あらゆる存在に継承と連続があり、全てが関係し合って結ばれていることに気付きます。すなわち、始めも終わりも無く、一切が融合し一体となっているという、大調和の事実を悟るのです。

「起伏」は波です。大宇宙は絶え間なく活動しており、活動すれば必ず波が生じます。生命体の心拍や呼吸、地球の昼夜や春夏秋冬など、いかなる存在も活動して波を描くのです。

そして、波は上下を繰り返します。一般に波というものは、高調なときが善(良い)、低調なときが悪(ダメ)と思われがちですが、決してそんなことはありません。低調なときに休養と準備に努め、その蓄積で高調なときに成長し活躍出来るのです。そうして、時間軸を長く取って見たときに波動進化に気付き、生成発展の大歓喜が悟られてくるという次第です。(続く)