其の四十四 悪党でも、まとめ役がいるほうが秩序は保たれる…

そもそも「この宇宙に善悪など無い」というのは、いわゆる「悪」をそのまま放っておいていいという意味ではなく、迷惑千万な悪は勿論懲らしめねばなりません。

この世に悪党と呼ばれる人間がおります。それが大悪党ともなると、大英雄と紙一重になります。

人間が集団化しますと、どうしても「まとめ役」が必要になります。まとめ役が不在では、集団として意志決定が出来ず、何事も後手に回ってしまいます。全体のため誰かに損をさせねばならない場合など、実力のあるまとめ役がいないと紛糾し続け、場当たり・横並び・先送りのまま終わってしまいます。

まとめ役は、実力が高く、人格に優れた人が望ましいのは言うまでもありません。しかし、なかなかそういう人がいないときは、少々人格に難があったとしても実力者に登場して貰わないと、行き詰まった事態を変えられない場合があるのです。

危機が迫ってくれば、まず国内を大同団結させねばなりません。が、人格穏和だけれども統率力に欠けるという者たちばかりでは埒が開きません。外に対しても、英雄や豪傑のような人物が出てきて睨みを利かせないと、侮られたままあっけなく侵略されてしまう可能性があります。力は弱いところに入って来るからです。

悪党でも、まとめ役がいるほうが秩序は保たれるというのはそういうことです。時代の転換期や新しい社会秩序の創業期には、悪党が英雄ともなれるチャンスというわけです。無論、人格に問題があって徳が低い場合、同志と仲違いが絶えないため、一時の活躍で儚く(はかなく)終わってしまいがちなのですが、それはそれで「英雄ロマン」ということなのでしょう。

自分を振り返ってみても分かることですが、善ばかりで人生を終える人なんていません。善い事もしたが、何らかの経緯(いきさつ)で悪い事もしたという人が殆どではないでしょうか。もしも全く悪い事をせずに人生を終えたという人がいたら、それは善い事も特にしなかったという人ではないかと思われます(小さな善行は別ですが)。

高天原で悪さをした後、心を入れ替えて出雲で大活躍したスサノヲの命のような生き方もあります。スサノヲさんを見倣いながら、人生を終えるとき、比べてみて善が1パーセントでも多ければ合格ということでも良いのではないと思うのですが如何でしょうか。

それから、善悪で人を裁いてばかりいるという悪もある気がします。お互い、注意すべき点を注意し合うことは必要ですが、ここにもバランス(程良さ)が求められます。言い過ぎれば、どんなに正しい事であっても相手に対する単なる攻撃となってしまい、注意する側の憂さ晴らしにしかなりません。

東西文明が転換し、日本に新しい社会秩序が誕生しようとしている今、現代のスサノヲさんの登場が求められていると言えます! そういえば昔、林さんにスサノヲさんが付いていると言われたことがありました。今も付いているのかどうか分かりませんが、猛々しく・素早く・凄まじいという、タケ・ハヤ・スサノヲの命の威力を、まず自分から養うべきだなと思いを新たにしています。(続く)