其の三十 表観と裏観、バランス良く用いると、人間を的確に掴めるようになる!

それから、表観と裏観について述べます。これらは聞き慣れない熟語だと思います。筆者は、国学(大和言葉の世界観など)の師・河戸博詞先生から、この表観と裏観という言葉を学びました。

文字通り、表観は物事を表から、裏観は裏から観ます。人を観るとき、見て分かる個性や特徴、外見や地位、名誉など、表に現れているものを捉えるのが表観です。逆に、見た目には囚われないで、醸し出される雰囲気や言葉の深みなどから、その人の本質や価値を見出すのが裏観です。

表観で観る内容となる地位や名誉、取得した資格や学歴、名刺に書かれた肩書きといったものは、その人が努力の結果として勝ち得たものですから、当然評価すべき事ばかりです。

でも、表観ばかりに目が行きますと、相手の目に見えるところばかり気にするようになります。人柄や本質よりも、服装や名刺に頭を下げてしまうのです。

一方、裏観に囚われますと、個々の差異よりも共通点ばかりが観えてきます。人間は皆不完全で愚かであるという(優秀性を認めない)人間観(性弱説)や、大臣も金持ちも命は一個であるといった平等観に立つことになります。そうして、「人間に大きな違いは無い」という結論の、その根拠としての共通点が観えてくるというわけです。

主観・客観同様、表観・裏観もバランスが大事です。表観・裏観をバランス良く用いますと、より人間を的確に掴むことが出来るようになります。まず、相手の顔付きや服装、姿勢などを観(表観)、次にそれらをベースに、その奥にある本質的な人柄や人生観・死生観といったものを見抜いてまいります(裏観)。

また、勉励刻苦の結果、成績が上がって希望校に進学できた生徒の努力は、表観として正当に評価すべきですし、努力しても希望が叶わなかった生徒がいたとしても、その子を無視することなく一所懸命な取り組みを裏観によって認めるべきでしょう。

ときどき、著名人や有力者に馴れ馴れしく近付いては、相手に対して横柄な態度を取る人がいますが、そういう人は、表観によって有名人に憧れていながら、裏観によって相手を自分と同列に見ようとしていると判断されます。(続く)