主観・客観・表観・裏観。四つの観だから四観といいます。これらは、漢字を見ただけだと難しそうに思うかも知れませんが、物事に対する観方(みかた)として、誰でも普段行っていることばかりです。
主観は、自分自身の感覚を基本とする、主体的な観方のことです。花を見て「綺麗だな」と感じ、食べ物をいただいて「美味しいね」と感じるのが主観による感覚です。要するに、そう感じる人にだけ与えられる世界が「主観の世界」なのです。
客観は、その花にまつわる物語や文化を調べたり、何という種類の何科の花なのかについて確認したりするときに働かせる観方です。いわゆる研究は、客観を基本に進めていくことになります。客観は、自分が感じたり思ったりすることとは無関係に、「有る物は有る(有るのだから有る)」という世界です。
もちろん、実際に物を観るとき、我々は主観と客観の両方を用いています。野球の打者が相手投手の配球を予想(主観)する際、これまでの配球を確認(客観)しながら勘を働かせます。あるいは、料理をするときに、レシピを見て客観的に調理方法を調べ、材料や調味料を整えるとともに、水加減や火加減などにおいて主観を働かせながら判断するようなものです。
従って、バランスが大事なのですが、どうしてもどちらかに偏りがちになります。主観に偏ると、感性は豊かになり、直感もよく働くようになるのですが、思い込みや当てずっぽうが多くなり、子供じみた稚心が抜けなくなります。客観に偏ると、理性的・知性的になるのですが、情や共感力に乏しくなり、冷淡な性格になりがちです。
講座の受講生においても、主観に偏ってしまい、早く行動したくて焦る一方だったり、逆に客観に偏っていて日本と世界を憂うるばかりであったりします。後者のタイプが日本と世界の行く末を案じますと、客観に偏っていることの弊害から、発言が評論家的になりがちです。その内容にデータによる分析が入っているなど、確かによく学んでいることは分かるのですが、一般的に表情は暗く語りは悲観的・否定的です。
そのため、話を聞いているうちに嫌気が差してきます。明るい展望や具体的な解決策が殆ど無いからです。そういうタイプの人は、「そこで自分は日本に対してこれをする、世界に対してあれをやる!」という、行動への意欲や決意が乏しいのです。
筆者は、そうした客観に沈滞したタイプの人に出会ったとき、遠慮無く「さあ、そこであなたは何をするのですか?」と問い掛け、「安全地帯に身を置かないで、あなた自身の実践・実行を述べてください」と投げ掛けることで、立志を促すようにしております。(続く)