筆者は「綜學」を提唱しています。「綜學」は、全体観による「綜合學問」のことです。全体學である綜學の「ものの見方や考え方」の基本は、何に対しても「全体を観る」ということから始まります。そして、全体を観たら、次に核心を掴み、さらに流れを読みます。
全体を観るときの注意の一つが、「表からばかりでなく裏からも見る」というところにあります。表から観るのを「表観」、裏から観るのを「裏観」といいます。AさんとBさんを観た場合、表観では主にその違いを観、表観では主にその共通点を観ることになります。
AさんとBさんとでは、背格好や顔立ちが異なり、年齢や経歴も違います。表からそうした差異を観るのが表観です。その一方で、AさんとBさんには、信念や志向、性格や人柄に似ているところがあり得ます。裏からそうした共通点を観るのが裏観なのです。
起こった事実を調べる場合も、表観と裏観の両方をバランス良く生かす必要があります。どういう事が起きたのかを正確に認識するには、表観をよく働かせて事実を調査しなくてはなりません。その上で、事実の意味や理由を知るためには裏観が必要になります。
ある子が万引きをしたとき、その事実は表観で調べますが、物を盗んだ理由や背景は裏観でないと確認出来ません。窃盗は悪だから罰するのみというのでは、決してその子の救いにはなりませんし、世の中から悪を減らすことも出来ないと思うのです。
この表観と裏観をバランス良く用いますと、物事の核心をよく掴めるようになります。核心を掴む作業は、どこに問題の原因があり、そのきっかけは何だったのかを考えるところから始まります。表観で表に現れている問題の特徴を捉え、裏観で裏に隠れている原因や背景を見抜くのです。そうして、解決のための要所(つぼどころ)を見付けたり、キーパーソンを探し出したりして解決への道筋を明らかにしていきます。
解決への道筋を明らかにする上で必要となる心得が、流れを読むということです。大は宇宙から小は量子に至るまで、あらゆるものが変化活動しています。変化活動すれば、その動きは循環して波動となります。一直線に上がり続けることもなければ、一直線に下がり続けることもありません。全ては循環し、波動進化しております。
そうであれば、現在の状況がいつまでも固定されているはずは無く、どこかで上昇は天井を打ち、下降は底を打つことになります。その波動や循環、つまり流れを読みながら先手で準備するのが、綜學による対応策の基本です。流れを読みながら、手順を考え工程を組み立てて問題解決を図るというわけです。
先述の通り、沖導師の教えに「変化・バランス・安定」という物事の捉え方があります。それに学びつつ、全体を観・核心を掴み・流れを読むという綜學の在り方が、筆者の中に構築されていった次第です。(続く)