「手近なところを正しくすればいい」という心得は、「世を保つ方法」においても同じです。もしも「国内政治に慎重さが欠け、軽はずみで、勝手気まま」な状態に放置しますと、国内の「秩序が乱れ」、「遠国が必ず背(そむ)くこと」になります。
「そのときになってはじめて対策を求めてしまう」のが世の常ですが、それは医書に書かれている通り「風に当たり、湿度の高い場所で横になり、病気になってから神霊に(平癒を)祈願する」のと変わらず、「愚か者のすること」でしかありません。
兼好法師は、「そういう人は、まず目の前にいる人の憂いを除いて恵みを施し、道を正していけば、その感化はやがて遠くに及ぶという事実を知らないのだろう」と嘆きました。
その例が、夏王朝の始祖である禹王の政治にあります。「禹王が(南方の蛮族である)三苗(さんびょう)に遠征し」、版図の拡大を目指しました。一ヶ月に亘って交戦したものの、三苗は降伏しません。そこで禹王は、軍隊を引き返させ、国内に徳政を敷きます。三苗の民はその徳治に感化され、自然と禹王に服属していきました。だから遠方への武力による外征は、手近な内政で「徳を敷くことには及ばなかった」というわけです。
現代の大国も、周辺諸国が憧れるような善政を敷けば、各国は自ずとその徳治になびき、喜んで国交を願い出てくるはずです。その政治を学びたくて、世界中から留学生が集まって来ることでしょう。
それなのに、なぜ国内では強圧政治で無理矢理人民を抑え、異民族を弾圧し、国外へは武力と金力でのみ勢力圏を拡大しようとするでしょうか。そういう在り方は、国家の原点からも人民の理想からも大きく外れているはずです。
このままの政治が続けば、後世に汚名を残すのみとなりかねません。内外から嫌われる悪政ではなく、王者の徳で国内を治め国外を感化する王道政治に帰り、禹王の如く世界に模範を示して欲しいものです。(続く)