其の七十四 不遇を一気に精算するための、一発逆転狙いは却って危ない?!

兼好法師は「何事も、外に向かって求めてばかりいてはいけない。ひたすら手近なところを正しくすればいい」と教えました。常に、手元や身近なところを大切にせよという教訓なのですが、なかなかこれが難しく、努力しているにも関わらず思うように成果が出て来ないと、だんだん外に目が向いていきます。

そうして現状に対する不満が溜まってくると、心機一転、内を変えることよりも外にチャンスを見出そうとし、つい他所(よそ)に打開策を求めてしまいます。それは、これまでの不遇を一気に精算するための一発逆転狙いとなります。

しかし、そういうときの選択は、不満で目がくもって部分しか観えていないので失敗する可能性が高くなっています。単に巧くいかないどころか、全てを失うほどの被害となる可能性すらあります。部分しか観えていないというのは、新たな取り組みでの成功に気が向いて自分の都合ばかり考え、損得勘定で頭がいっぱいになっている状態のことです。

そういう状況で外、つまり未経験分野に参入しようとしている人は、詐欺師からすれば非常に騙し易い存在でもあります。見え透いた甘い誘いで、簡単に乗せられると。

そして、何かで騙される人は、大抵その人の得意方面の事(好きな事)や、信じ込んでいる事で引き込まれていきます。得意分野の話題で話しかけられますと、こちらもつい調子に乗り、誘導されながらどんどん喋ってしまいます。そうこうするうちに、すっかり気分が高揚した状態で相手の勧めを受け入れていき、結果的に騙されてしまうというわけです。

また、信じ込んでいる事で騙されてしまうというのは、道徳を絶対視している人は道徳論を聞かされてその気になり、金を信奉している人は利(儲け話)に釣られ、謀略や策謀に関心の強い人は陰謀論にはめられ、科学的思考(シンプルロケイション)以外を認めない人は(根拠をあげながらの)科学的説明によって欺かれてしまうということです。

熱心に取り組んできたつもりなのに、どうも上手くいっていない。不満が溜まっていて、何か別の事に取り組んで人生を逆転させたい。そこへ詐欺師や扇動家がやって来て、こちらが「そうだと信じている」事柄を示しながら誘いに掛かってきたときが要注意です。兎に角、楽そう(楽しそう)な選択は、後で“高額の請求書”が待っていると思っておいたほうがいいでしょう。

コロッと騙されないためには、まず落ち着きが大事です。宋代の名臣の一人である清献公が「善い事を行って、先々の事を問うてはいけない」と語ったように、先々を苦にしないで、これまで取り組んできた善き事を行いつつ、やがて天命によって巡ってくる「真の機会」を、腰を据えて待つのも大切な在り方ではないかと思う次第です。(続く)