其の四十八 兼好法師の頃にもあった、東国と都の人間性の違い…

堯蓮上人は、元は東国の荒くれた武者でした。人を斬らねばならない武士という稼業に、次第に嫌気が差して出家したのだと思われます。

あるとき、故郷の知り合いが都にやって来て、堯蓮上人を訪ねました。あれこれ語り合う中に、東国と都の人間性の違いについての話題がありました。

故郷の人が言います。俺たち東国の人間は信頼出来る。約束した事は必ず守るからだ。ところが都の人は、良いのは返事ばかりでマコトが無いと。

それに対して、上人が答えました。そうかもしれないが、都に長く住んでみると、都の人たちの心情が劣っているとは思いません。

一般に「心は穏やかで、人情があります」から、人から頼まれた事を、はっきり嫌だと断れないまま請け負ってしまうのです。嘘をつくつもりは無いのに、おしなべて都の人は貧乏なため、なかなか約束を果たせず、人を助ける事も出来ないまま「思い通りにならない事が多くなるのでしょう」と。

それと比べ、「東国の人は私の故郷の人たちですが、実際は心の優しさが無く、人情に薄く、もっぱら剛健であるから、はじめからダメと言って終わりとなります」。でも、東国は「繁栄して豊かであるから、人から頼まれること」が多くなり、それに応えているうちに信頼されることになるのだと理由を説明されました。

堯蓮上人は、言葉に東国なまりがあり、元は武者だから言葉遣いが荒々しいです。強(こわ)そうな雰囲気の人だから、「仏教の細やかな道理は、たいして分かっていないだろうと」兼好法師は思っていました。

ところが、この故郷の人との対話を知ってからは「奥ゆかしく思うようになり、僧の多い中で寺の住職にもなっていらっしゃるのは、このような和らいだところがあって、その人徳もあるのだろうと」いたく感心しました。堯蓮上人は、相手の心情を細やかに捉える優しさを持っていたのです。

東国の人は、信頼出来るが実は冷たい。都の人は、優しい分つい嘘をついてしまう。この分析は、なかなか興味深いと言えます。

信頼云々は別にして、こうした心情の違いは現在もあるようです。地方から京都に移り住んだ人たちは、まずその違いをわきまえませんと、不可解に思う場面に出くわして恥をかいてしまいます。(続く)