其の九 必要なタイミングで、すっと間合いを詰めていけるかどうか…

筆者が若い頃、東京で出会った知人の実家にお邪魔させていただいたところ、母子の会話がとても丁寧で、世の中にはこういう母親と息子の関係もあるのだと驚いたことがありました。敬語が基本の言葉遣いと、相手を気遣う物腰が、実にきちんとしていたのです。

浜松の下町育ちで方言丸出しの自分には、何だか似合わないところに来てしまったなという居心地の悪さがありました。しかし、親しい仲だからこそ礼を尊び、所作を懇ろに保つというのは、なかなか格好いいものだなと感じたのも確かです。

人間観察の達人である兼好法師が述べました。毎日、すっかり慣れ親しんでいる間柄なのに、ふとしたときにこちらに気遣い、きちんとした態度を取ってくれるのは何だか新鮮な感じがして心地いいものだと。中には「今さらそうまでしなくても」と言う人もあるだろうが、身に付いている「実直で上品な」人柄が滲み出ていて好ましいとのことです。

勿論、その丁寧な所作や物腰は自然でなければいけません。自然でなければ、格好良さは現れません。

また、「親しくない人が、打ち解けた事などを言っている」のも、そのフレンドリーな態度が自然な振る舞いであれば「これもまた良いもの」だと述べています。わざとらしい嫌らしさが無いから、しみじみ心引かれることになるのです。

要は、馴れ合いにならず、冷たくもならずという間合いが大切というわけです。それが、飽きが来なく、長く続いていく人間関係の秘訣なのではないでしょうか。

接客も、横柄な態度でずけずけ無遠慮に迫ることなく、しかも必要なタイミングで、すっと間合いを詰めていけるといった気働きが必要です。武道の間合いにも、同じことが言えるでしょう。

それには、人間関係の間合いを的確に保つためのセンサーが身に備わらねばなりませんが、普段から丁寧な挨拶や、きちんとした返事、履物を揃えるといった嗜(たしな)みに留意していれば、自ずと感覚が身に付くものと思われます。
(続く)