其の百十一 おいっ、今から出て来ないか…

「おいっ、今から出て来ないか…」。上司からそのように誘われて、とにかく普段着のまま出掛けて一緒に酒を飲む。そんな突然の招集に参上するのも、部下の責務であると同時に一つの楽しみであった。

少なくとも昭和はそういう時代だったし、平成を生きた者にも、その雰囲気は分かると思う。それがなんと、鎌倉時代にもあったというから面白い。

「(執権の北条時頼に仕える)平宣時朝臣が、老いてから昔語りをした。(それによれば)最明寺入道(北条時頼)から、ある(夜のまだ更けない)宵(よい)の間(ま)に呼ばれたことがあったという。「すぐに(参ります)」と答えたものの、(武士の平服である)直垂(ひたたれ)が無く、あれこれと探していたところ、また使いが来て、「直垂などが無いのではありませんか。夜だから異様な格好でも構いません。早く来てください」とのことである。

それで、くたくたになった直垂を、普段着のままに参上したところ、(時頼はお酒を入れる)銚子(ちょうし)に(素焼きの杯である)土器(かわらけ)を取り添え、手に持って出て来られた。「この酒を一人で飲むのが物足りなかったので、(来て欲しいと)申したのだ。さて、肴(さかな)が無い。家人は寝静まったであろう。(おつまみに)なりそうな物が何かあるだろうから、(この家のそこらあたりを)どこまでも探し求めてくれないか」とのこと。

そこで、(照明用具の)紙燭(しそく)を灯して隅々まで探し求めたところ、台所の棚に味噌を少し盛ってある小土器(こがわらけ)を見付け出した。「これを求め得ました」と申し上げたところ、「これで十分だ」と言われる。気持ちよく数献(すこん)に及び、すっかり興に入られた。(平宣時は)「その当時は、このように(質素で)あった」と申された。」

すぐに…「やがて」、あれこれと…「とかく」、異様…「異様(ことよう)」、早く…「疾(と)く」、くたくたになった…「なえたる」、普段着…「うちうち」、参上したところ…「まかりたりしに」、飲むのが…「たうべんが」、物足りなかったので…「さうざうしければ」、なりそうな…「さりぬべき」、どこまでも…「いづくまでも」、すみずみ…「くまぐま」、盛ってある…「つきたる」、十分だ…「事足りなむ」、気持ちよく…「心よく」(続く)