兼好法師は『徒然草』第百八十八段の締め括りに、「早ければ則ち成功する」という論語の一節を挙げました。そして、「まそほのすすき」の意味を知ろうとしていた登連法師が、そのチャンスを逃さないで直ぐに出向いた故事に倣い、後れを取らないで「一大事の因縁を考えなければならない」と述べました。
「一大事の因縁」の「一大事」は、仏道において「さとりを開く」ことに他ならず、「因縁」はその原因や機縁です。「さとり開く」、それを成仏と言い、成仏の「仏」はブッダのことで目覚めた人、「成」はそれに成ることです。
つまり、真理をさとって目覚めた人となることが成仏です。簡明に言えば、人として生まれた自分には天から受けた使命があり、それを天命として自覚することがさとりです。大宇宙(マクロコスモス)である天と小宇宙(ミクロコスモス)である人は一体であるという、天人合一の世界観がその前提にあります。
この天命の自覚という一大事こそ、まさに人生の第一義であるはずですが、目の前の諸事に追われている我々は、どうしても一大事や第一義を忘れがちです。それだけに、いっそう天命事(てんめいごと)に対する反応の機敏さが求められるわけです。
論語に出ている「早ければ則ち成功する」という教えの原文は「敏則有功」で、「敏なれば則ち功有り」と読み下します。この言葉は、論語の陽貨篇と堯曰篇の2カ所に出ています。機敏であれば、きっと成功するという意味ですが、おそらく動きの鈍い弟子たちに注意を促した言葉でしょう。
いくら良い事でもタイミングというものがあり、早過ぎても遅すぎても失敗します。早過ぎての失敗は準備不足が原因でしょうが、遅すぎて失敗するのは覚悟と本氣の不足が第一の理由と考えられます。
行動は素早く!いつでも立ち上がれる自分であれ!そのために日々の学習・修養や鍛錬・修行があると…。それは、武道や武士道、空海の教え(密教)にも通じる、王道人生の基本と言えます。(続く)