組織をまとめ、人を動かす指揮官の仕事は極めて大変です。真意を理解してくれる側近は限られており、現場トップはいつも孤独です。世間の的外れな非難にも耐えねばならず、心労は重なる一方です。
そういうことから、無駄口を叩かず、静かで暗く、何を考えているのか分かり難いものの、下される判断は正しいという在り方が将軍に求められるようになりました。
そして、孫子は「士卒の耳目を愚かに」せよと述べました。耳と目を愚かに、つまり耳に聞こえず、目に見えないようにさせよということですが、それは一体どういうことでしょうか。
具体的には、軍の計画や進路、配備といった前線での重要事項を兵士らに認知されないようにし、それら重要事項を変えたり改めたりした場合も、いちいち「意識させないようにし、駐屯地を移し、進路を迂回(うかい)させても人々に思慮されないように」せよということです。
そうまでして知らせないのは、兵士に余分な事をあれこれ考えさせないためでした。情報が憶測を生み、飛び交う噂や流言に翻弄され、軍隊全体が不安や心配で覆われてしまうことを防ぐ必要があったのです。
さらに「軍隊を率いて任務を授けるときは、高い所に登らせてから梯子(はしご)を外す」ようにして、もう後戻りは出来ないということを肝に銘じさせました。そもそも戦場において「任務を授ける」とは、部下たちを厳しい環境(危険地帯)に向かわせることに他なりません。将軍の下にいる幹部らは、覚悟を据えてその命令を受けることになります。
そうして「敵地深く入り、いよいよ決戦を起こすとき」を迎えます。決戦となれば、石弓の矢を放つときのような勢いのある側が勝ちます。
そこで、なんと「舟を焼き、飯釜を壊し」ました。川を渡ってもとに戻るための舟は無く、このまま駐屯を続けて次の飯にありつけることも無くなったということを目に焼き付かせ、そこから本氣の勢いを引き起こしました。
決戦のときにあたっても、やはり兵士らには進路を知らせませんでした。目的地を知らされず、追われるままに進んで行く羊たちのように兵士らを誘導し、臨機応変に行き来させよというのが孫子の指示でした。
こうして「全軍の大部隊を集めて危険な地に投入する」というところに、将軍でなければ果たせない役割がありました。だから将軍は、本章「九地篇」が示す「九地の区別」、そして進退の時期によって生ずる利害、さらに部下たちの心を捉えるための「人情の機微について」常に考察していなければならなかったのです。(続く)