「心身の働きが中心に統一されている時の心理状態は、注意が目的に集中して、感受性は最高度に鋭敏になり、意識は鮮明になっているのである。力は集中統一して使うほど強力になる。神経は昂奮と抑制の二力を統一して使うとき最高の力を発揮することができるが、注意力つまり意識が分裂している時には弱まる。多くの人は意識分裂のために、その持っている力をも失ってしまうことが多い。」
(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房82頁)
「注意が目的に集中して」いるというのは、目的に向かう心のスイッチがオンになっている状態のことです。寝ても覚めても、何をしているときであっても「大切な事」と意識がつながり、交信・交流が持続的に行われているのです。
それは、心配事に囚われて四六時中溜め息をつくといった、悩んでいるだけの状態とは全然違います。くよくよしていたら、ただ時間が過ぎていくだけです。
そうならないよう、「何のため・誰のために生きるのか」という人生の原点を見出し、為すべき志を立て、一心に理想に向かいましょう。立てた志を果たせるよう、日々心身を錬磨するのです。
そうして、自分の持ち場を道場と心得、天命(天からいただいた我が使命)に向かって鍛錬を続けていけば、丹田を中心に心身が統一され、余分な力が抜けていきます。「心配を心配する」(沖正弘導師)とでも表現すべき「余分な憂い」も小さくなってまいります。
それに従って、必要な情報や出会うべきご縁に対する「意識は鮮明に」なり、「感受性は最高度に鋭敏に」働くようになると。すなわち自分自身が、強力な受信機となっていくのです。
また、「力は集中統一して使うほど強力になる」のであり、神経の持つ働きである「昂奮と抑制の二力」についても、これらを「統一して使うとき最高の力を発揮することができる」ことになります。
しかし、二力の統一は「注意力つまり意識が分裂している時には弱ま」ってしまいます。精神がマヒして鈍感になるかと思えば、一転して感情が高ぶって抑制(コントロール)が効き難くなります。必要な昂奮も、正しい沈静もない中途半端な状態です。
要するにくたびれたゴム紐のようなもので、伸びる力も縮む力も失われています。そんなふうですから「多くの人は意識分裂のために」、せっかく持っている本来の力を発揮出来ずに沈滞しているのです。(続く)