其の百八 常に全体観に立って、物事を綜観(そうかん)していこう!

論理は本来、全体を観ることで成り立ちます。部分的・断片的で根拠の希薄な情報に踊らされ、自分や自分たちにとって都合のいい意見にだけ耳を傾け、異なった意見を頑(かたく)なに拒否し、反対意見を唱える者たちを一方的に見下すようになりますと、もはや対話は不可能です。

兎に角、自分は正しいと思う事によって自信過剰に陥っている者ほど、手に負えない人はいません。正しさというものは、場面(状況)や条件によって、どうとでも変わります。正しさを判断する上で根拠となる正統性も、我が国のように神代に歴史の原点を持つ国なら確固たるものがありますが、侵略や被侵略、革命や滅亡を繰り返してきた国々の場合、それはかなり曖昧模糊(あいまいもこ)となります。

そういうことを前提に、違う意見を頭ごなしに拒否するのではなく、それが出て来る理由や原因を客観的に知るようにしましょう。なかなか大変ですが、心に余裕を起こして、その反対意見を冷静に分析してみるのです。

一体どこがどのように部分観に填(はま)っていて、全体から観たときにどんな問題を孕(はら)んでいるのか。歴史に照らしたときに、ちゃんと原点(正統性)に繋(つな)がっているかどうか、未来(将来世代)にとって本当に必要な事かどうかなどを考察してみてはどうかと。

そうやって、常に全体観に立って物事を綜観(そうかん)していけば、相手の意見を一旦は容認するゆとりが生まれて来ます。分断や対立は、そのゆとりに応じて次第に防げるようになるのではないかと考えます。兼好法師は、そんな徳の高い(余裕のある)人物を求めていたのではないかと推測いたします。(続く)