誰にも気付かれず、何とも思われない事の中に、素晴らしいヒントや原石が存在している場合があります。感性の鋭敏な人であれば、一枚の枯れ葉が落ちることや、挨拶の何気ない一言からピンと来るものを感じ取り、重要な変化(課題や問題点など)を発見することになります。
兼好法師は、穂が赤みを帯びた「まそほのすすき」を例え話(鴨長明の無名抄に出ている話が元という)に出しながら、何の変哲も無さそうな穂の赤いすすきが、ピンと来る人にとっては一大事であるように、何かを聞いて意味があると感じたら、すぐさま調べるなり、そこへ直に行くなりすることを勧めました。
この百八十八段の話の座には、大勢の人が集まっていたのですが、ある者がこのすすきの話題を出し、「渡辺の聖」という現在の大阪市渡辺橋の付近に住む高僧が、「この事を伝え聞いて知っている」と語ります。そうしたら、「その座におりました登蓮法師がそれを聞き」、早速調べに行こうとします。
そのとき、雨が降っていました。登蓮法師は「蓑笠があれば貸してください。そのすすきの事を習いに、渡辺の聖の許(もと)へ尋ねにまいりましょう」と言ったのだそうです。
登蓮法師は平安時代中頃の歌人で、多くの勅撰和歌集に歌を残しています。だから、兼好法師の時代よりも、ずっと前の人です。詳しい伝記は無いようですが、登蓮法師は歌人として、自然や植物などに、ただならぬ関心を持っていた人物だと思われます。それで、「まそほのすすき」にピンと来るものがあり、早速渡辺の聖のところへ出向こうとしたのでしょう。
すると、その座にいたある者が、「あまりにもせわしいではないか。雨がやんでから行けばいいのに」と言いました。それは当然の発言です。でも、登蓮法師は「論外なことを仰いますな。人の命は、この雨がやんで晴れるまでの間をも待ってくれないものです。この私が死に、聖が失せれば、どうして聞くことが出来るでしょうか」と言いつつ「走って出て行った」とのことです。(続く)