「歴史もの」であれ「現代もの」であれ、ドラマを見ていると、人間関係のこじれや対立が必ず起きている。それに対する解決があって、はじめてストーリーが成立し、視聴者はその流れに惹き込まれていくことになる。
本レポートでは、組織に問題が起き、人間関係が崩れてきたときの対応について、雑駁ながら浮かんだことを一考として述べてみたい。
ドラマと言えば、ある任侠ドラマに登場する大親分が、「わしは正義に付く」と語っていた。「あんたは、どっちに味方するんじゃ?」と問われたときに、きっぱりと言ってのけた。勢力があるほう、声の大きいほうではなく、正義に立っている側でなければ、わしは応援しないというわけである。
では、正義とは一体何か? 人が10人いたら10人分の正義があるものだから、正解はなかなか難しい。とは言え、何か基準となるものがなければ物事はまとまらない。
思うに、天下や公のためという「義」の精神を持ち、世のため人のためという「仁」を守っているほうが、より正義の側ということになるのではあるまいか。
そして、ウソを言ったり、ウソを隠すために策を弄したりしないということも正義の条件に入れておきたい。※義は筋を通して美しく生きること、仁は相手に施す無償の愛の心を意味している。
人は本当によく争う。聖徳太子は「憲法十七条」(第一条)の中で、「人皆党有り(ひとみなたむらあり)、亦達者少し(またさとれるものすくなし)」と述べている。そもそも人間というものは自己中心的で、それほど精神レベルの高い存在ではなく、どうしても党(群れやグループ)を作ってしまうものだと。
だからこそ太子は「和を以て貴しと為せ」(第一条)と述べ、また「衆と興に相弁ふる(もろもろとともにあいわきまうる)」(第十七条)よう促し、謙虚になって衆知を集めることの大切さを訴えられたのである。
「達者少し」というのは、全体を観ながら大調和を図れる人物は、殊の外少ないという意味だろう。全体的で客観的な思考によって、自己の損得を超えて正義を判断するのは至難の業であり、大抵は、相手に対する好きか嫌いかという感情をもとに、自分にとっての名誉と利益、便利と都合などを判断の基準に置いてしまう。そのままでは、人間社会からドロドロとした怨みは消えず、対立と分断は深まるばかりとなる。
そこで、組織に問題が起き、人間関係が崩れてきたときに、それを解決する立場に就く者が必要となる。「達者」として可能な限り大所高所に立ち、一方からだけでなく対立する双方から意見をよく聞くことで、偏りを防いでいく者だ。
特に、はじめに結論付けられていて、その方向に印象操作された情報に注意したい。事実に基づいてはいるものの、都合のいいところを継ぎ足している情報である。印象操作によって、見かけ上、筋の通った結論に仕立てられていれば、聞き手の気持ちは、そちらに誘導されてしまう。解決担当者(以下、和役)は、この印象操作に左右されてはならない。
組織の中にいると、ただでさえ意見は言いにくいものだ。集団心理によって同調圧力が掛かってしまえば、なおのこと異を唱えるのは至難となる。逆らえない雰囲気のままではダメで、硬直化した状態だからこそ、意見が出るよう導くところに和役の役割がある。
組織・集団がひとたび乱れると、言動が乱暴になる。自分と異なる意見を持つ者を罵倒し、悪しざまに言っては排除しようともする。それを、和役は鎮めていくのである。
カン(勘)を働かせ、「何かおかしいぞ…」「なんだか変…」と感じることや、もやもやした雰囲気にピンとくることが大切だ。とにかく、どの意見が最も全体観に立っているか、公平であるかについて、一切の好き嫌いの感情を交えないで聞き取っていこう。
また、対立する双方のどちらにも与せず、中間にいながら事実を冷静に掴んでいる者たちの見解も重要となる。彼らは、このままでは組織に愛想をつかして、静かに去っていく人たちであることを知っておきたい。
もつれた感情が渦巻く中、「その言い争い、ちょっと待った!」と止めに入るのだから和役の任務は大変だ。とにかく、身勝手な風評や、信頼性の低い伝聞に惑わされることなく、確実性の高い証拠(一次資料)によって出来るだけ事実(本当のこと)をあぶりだし、それによって正義を明らかにしなければならない。
現象には、その奥に何らかの原因が隠れている場合がある。戦後、米を食うとバカになるというキャンペーンが全国で展開されたが、背後にアメリカの小麦販売戦略があったという。現象の奥に潜む本質的な原因についても、和役は見忘れないよう努めて欲しい。
なお、表から現象を観ることを表観といい、裏から本質を観ることを裏観という。
処理と対策であるが、この表観と裏観によって事実をより的確に掴み、将来のために公平に処断していくことになる。但し、悩みは、どちらにも“正義”があるところにある。
「水戸黄門」の悪代官・悪徳商人と、苦しめられている善男善女のように、善悪がハッキリしていることばかりではない。どちらにも良い点と悪い点があり、双方に立場と言い分があるのが普通で、一方だけが正しくて他方は完全に間違いということは案外少ないものだ。
その場合、理由と根拠をもとに双方に注意を与え、「喧嘩両成敗」をするのが和役の仕事となる。義と仁、これらを忘れなければ、きっと上手くいくはずである。
以上、浮かんだままに書かせていただいた。人の世が、もっと和していくよう願って止まない…
(日本政経連合総研レポート第115号 令和8年10月1日より)