◇天皇は神々に祈りを捧げる大神主、皇位継承者はそれを担う使命を持つ…◇
誠に畏れ多いことですが、天皇と皇室について述べさせていただきます。筆者が30歳の頃、宮中祭祀の助勤(お手伝い)を数回務めたことがあります。
皇族参列員の接待係で、ご到着の際にお車のドアを開けて誘導することと、控室にお茶を出すことが役割でした。
昭和60年(1985)の新嘗祭のときも助勤を務めました。そのときいただいた文書(宮内庁用紙に手書きされたもの)に「新嘗祭参列員」の一覧があり、そこに男子皇族方のお名前と、総理大臣や衆参議長らの氏名が記されていました。
文書に記載されていた男子皇族は下記の方々です(当時)。
※( )内は筆者が記入。
徳仁親王殿下(皇孫殿下)
正仁親王殿下(常陸宮殿下)
宣仁親王殿下(高松宮殿下)
崇仁親王殿下(三笠宮殿下)
寛仁親王殿下(三笠宮殿下の第一皇子)
宜仁親王殿下(三笠宮殿下の第二皇子)
憲仁親王殿下(高円宮殿下、三笠宮殿下の第三皇子)
新嘗祭は、天皇陛下が采女(うねめ)の介添えを受けながら、お一人で行われる祭祀です。お一人の祭祀でありながら、こうして男子皇族方が参列されます。
東宮(皇太子殿下)は、陛下の御傍(おそば)に扈従(こじゅう、従われること)されます。
皇太子殿下の扈従や男子皇族方の参列は、一体何を意味するのでしょうか。
それは、祭祀こそ天皇の第一の役割であり、皇位継承者は自分が(もしも)皇位に就いたときに速やかに祭祀を受け継ぐことが出来るよう、意識を深めていかれるところに意味があると考えます。
天皇は我が国にとって、神々に祈りを捧げる祭祀王、即ち大神主であり、皇位継承者は、いつでもそれを担うという使命をお持ちなのです。
◇国体思想。日本とは、いかなる国か◇
さて、日本が「一つの国として続いてきた」と言い切れる根拠は、皇位の連続性にあります。これを「国体思想」といいます。
令和8年は、人皇(じんのう)初代・神武天皇の即位から2686年目です。
すべての天皇の父親の父親の父親を遡(さかのぼ)っていけば神武天皇に辿(たど)り着くという、中心(原点)に統一された国柄が「国体」なのです。
また、日本最初の元号である「大化」以来、1380年以上途絶えることなく元号を持ち続けている国が我が国です。「日本とは、いかなる国か」を考察する際、この長い連続性を無視するわけにはまいりません。
皇位は、神代から続いている「日本のタテイト」の中心軸です。後醍醐天皇を補佐した北畠親房は『神皇正統記』の中で、「日本は神の国。神代から皇統が絶えることなく続いているのは我が国だけで、他国には類例が無い。それで神の国という」と述べています。
あるいは、江戸時代初期の大学者であった山鹿素行は『中朝事實』の中で、「支那(当時の中国の呼び名)は君主の姓が30回ほど替わっており、異民族王朝も数回起こった。日本は神武天皇から2300年ほど(当時)続いており、混乱は僅かしかない」と述べています。
このように、事実でもって我が国の尊厳が語られ続けてきたことが分かります。
国体に関する思想は、近代国家建設のため、明治になって急に言われ出したようなことではないのです。
◇君主国の意義とは…◇
君主国の意義は、政争が緩やかになるというところにあります。これを考えるには、人間心理を知らねばなりません。
第一に、人は相争う存在です。よくまとまる要(かなめ)が無ければ、対立し闘争して、ばらばらになってしまう性(さが)が人間にはあります。そういうことから、人間集団には中心が必要であり、それは国家も同様です。
第二に、人は誰かに認められたいと思っている存在です。自己肯定感というものは、誰かに認められることによって生じるものです。その認めてくれる相手は、誰でもいいというわけにはいきません。やはり尊敬出来る人でないと、評価されてもあまり嬉しくはないでしょう。
では、どういう人が中心者であり、どういう人から認められたいかといえば、それは正統性があって尊崇出来る人ということになるはずです。それが、我が国では、誰よりも天皇陛下なのです。
◇神武天皇の遠大なご精神と、天皇政治の原点◇
人皇(じんのう)初代の神武天皇のご精神とはどういうものでしょうか。
『日本書紀』によれば、タカミムスヒの尊(政治的な陽神)と天照大御神が、大御神の孫であるニニギの尊に与えた使命があります。
それが、「葦原の中つ国に行って、しっかりと治めなさい」という仰せであり、そのとき大御神は「三種の神器」を皇孫ニニギの尊に授けています。
三種の神器は鏡と玉と剣で、それぞれマコト、真心と愛情、正義と勇氣を象徴しております。神武天皇は、天照大御神やニニギの尊のご精神を受け継ぎながら、高天原以来の正統性を保たれたのです。
そうして橿原宮(かしはらのみや)を建立するときに出された詔勅が「六合開都 八紘為宇」でした。詔勅には「天地四方をまとめる都を開き、八方の遠いところまで覆う大きな家となします」という意味があります。
この神武天皇のご精神に、天皇政治の原点があります。天皇を大和言葉で、スメラミコト、スベラミコト、スメラギ、スベラキなどとお呼びします。
ス音には、統ぶ、統べるという意味があります。最も前に進み立って、国家と国民、さらに世界と人類を、進化と発展、平和と幸福に先導あそばされるところに天皇陛下の役割があり、それを明らかに示されたのが初代の神武天皇であったのです。
◇男系による皇位継承でなければならない理由◇
この度の皇室典範の改正には、単なる皇族数の確保ではなく、男系による皇位継承を維持するところに本旨があったと理解しております。
男系男子による皇位継承でなければならないということには、明確な理由があります。それは、皇室に別系男子を入れないことによって、無用の権力闘争に歯止めを掛けるということです。政治的な権力闘争に熱心なのは、やはり男性です。男性の持つ野心に制限を掛けなければ、秩序と安定は保たれません。
そういうことから防がねばならないのが、「女系天皇」の登場です。女系天皇とは、女性天皇(または内親王や女王)と一般民間人男子が結婚し、生まれた子(男女問わない)が即位した場合の天皇のことで、女性を通すことによる別系統(他系)の天皇の誕生を意味します。(女系天皇は別系王であり、別系支配者と言ったほうが正しいと思われます)。
この女系天皇と女性天皇は違います。女性天皇は男系の天皇であり、父親の父親…を辿っていけば神武天皇に行き着きます。しかし、女系天皇となれば、その父親は別系統の男性でしかありません。そして、日本史上に女系天皇なるものは一人も存在しておりません。
これまで男系の女性天皇は十代八方(お二方が重祚)存在しましたが、全て即位前に皇后(持統天皇のように夫が天武天皇)であったか、天皇になってから結婚されなかった方々ばかりです。女性天皇から別系の男子が生まれて皇位を継ぎ、別系支配者になったという例は皆無なのです。
有力者であった蘇我氏や藤原氏も、この一線を越えませんでした。一族の女子を天皇に嫁がせるところまではやれましたが、一族の男子と女性皇族が結婚し、生まれた子が天皇になるという事態、言い換えれば「天皇の父親」が蘇我氏や藤原氏になってしまうという“乗っ取り”は無かったのです。
もしも女性皇族の夫が外国人(または帰化人)であって、その子が天皇に即位するようなことにでもなれば、それは外国系王朝の成立を意味してしまいます。
外国の皇帝家も、男系が血筋の基本であることを常識としていまして、オスマントルコ帝国や中国各王朝は、帝位継承における男系を固く守っておりました。
そもそも女系に移行したら、それは革命を意味してしまいます。我が国においても、男性を制限することで、皇位を乗っ取ろうとする野心的民間人の発生を防いできたという次第です。
とにかく女系天皇というものは存在しませんし、女系になったら日本国のミナカではなくなり、天皇とお呼びすることは出来ません。この仕組みを「女性差別」と非難するのは的外れなことです。野心を持つ有力男子に制限を掛けたのですから、男性差別と見るべきです。(女性は男性皇族に嫁げば皇族になれるのですから、女性に開かれた在り方です)。
◇女性皇族が巫女として、天皇政治を助けてはどうか…◇
かつての天皇には、政治への意欲を強く持たれ、親政をなさる方もおられました。しかし、祭祀王・大神主が第一のお務めですから、出来るだけ政治闘争を超えて和を導くためのお言葉を発せられることになります。祭祀を通してお受けになった神意を、詔勅や御製などによって国民へ伝達される“霊的な指導”がそれです。
明治以前は宮中に霊感を持った巫女がいて、天皇の祭祀と政治を助けていたそうです。巫女は采女や内掌典のことで、ただの巫女ではなく神職として祈りの力を働かせます。
筆者は、女性皇族が巫女として、天皇政治を助けてはどうかと思っています。
そのお血筋からして、神道祭祀においても相当な力を発揮され、天皇政治を補佐出来るのではないかと予想いたします。戦後、下記の元内親王が神宮祭主をお務めでいらっしゃることが、よき先例になりはしませんでしょうか。
北白川房子様(明治天皇第7皇女)
鷹司和子様(昭和天皇第3皇女)
池田厚子様(昭和天皇第4皇女、神社本庁総裁)
黒田清子様(上皇陛下第1皇女)
◇この度の皇室典範改正に対する、新聞記事の批判に応えて…◇
改正によって旧宮家からの養子を認めることになったものの、養子の対象となる男系男子は、天皇陛下との間に36~37親等の隔たりがあるとの批判があります。それを言うならば、神武天皇を初代に今上天皇で126代となり、世代では70世代を超えていると思われます。専門家に尋ねなければ分かりませんが、かなりの親等数となることでしょう。
旧宮家は、600年以上続いた伏見宮家が宗家です。11家ある旧宮家は、全てそこからの系統です。約600年以上も遡るのだから随分と昔ではないかという批判もありますが、皇室と婚姻関係を結ぶなどしており、親しい間柄となって今に至っておりますから決して疎遠ではありません。
そもそも宮家の存在意義は、いざというときに皇位継承者を出すところにあります。その目的を受け継ぎつつ、宮家の祭祀を続けてきたのですから「赤の他人と同様」などという意見は全くの難癖と言うべきです。
徳川家にも、御三家(水戸家、尾張家、紀伊家)という将軍継承者を出すための家がありました。8代将軍吉宗のときに、さらに御三卿(田安家、清水家、一橋家)を加えて幕末に至りましたが、その目的を忘れることなく存続していたことに価値があり、だからこそその子孫に敬意が払われたのです。
御三家も御三卿も、「時代を経たから、もう無意味だ」などという意見は、幕末にも無かったはずです。重要なのは、親等の隔たりよりも、「家」の祭祀(先祖供養)を行なっているかどうか、尊厳(目的)を受け継いでいるかどうかにあるのです。
それは、宮家も同じです。皇室と旧宮家には交流と繋がりがありますから、遠い関係になったとは言えないでしょう。出雲大社のホームページの写真に、宮家と旧宮家の「神饌料」の立て札が、同じ大きさで掲げられているものがありますので、どうぞご覧になってください。
余談ながら、『三国志』の劉備玄徳に人氣が集まるのは、その人柄は勿論のこと、漢の帝室の血を引いているところにありました。落ちぶれて庶民同様の暮らしをしてはいたものの、天下を担う使命を忘れていなかったことに衆望を集める基盤があったのです。
それから、「養子制度は皇統の混乱を避けるため、明治の皇室典範でも禁じられていた仕組み」(7月18日付日経新聞社説)ではないかという批判ついて。当時は、政治体制が大きく変わったときであり、野心家が男系の血を引く者を担いで一旗揚げる恐れがあった時代です。それによる混乱を避けようとしたのであると考えられますから、男子皇族数が減少している現在と同列に論ずるのは如何なものでしょうか。
◇今回の改正は、目の前の第一歩!◇
今回の改正に対して、保守の側からも、皇室の権威を下げて天皇廃止へと導きたいであろう側からも、厳しい批判が出たようです。後者は論外として、保守陣営の皆様にお願いしたいのは、慎重に氣を緩めず、落ち着いて長期的に取り組みましょうということです。
今回は、まず養子の道を開いたことを“合格”とすべきでしょう。その上で、女性皇族の家族(夫や子)が皇族となってしまわないよう(女系天皇の出現を防ぐよう)、力を合わせていくべきです。
だから、今回の改正は目の前の第一歩なのです。長期的に目指すべきは、天皇陛下が祭祀王・大神主として、そのお役目を果たされるための環境の醸成にあります。それには、宮中祭祀を整え、宮内庁を宮内省に格上げするなどの改正が必要になります。皇室の将来を盤石にするための改革は、はじまったばかりと考える所以(ゆえん)です。