理念・制度・政策などを語る前に、政治家にはもっと大事なことがある。それは、人として持つべき誠意や徳の有無だ。誠意はウソ偽りの無いマコトの心、徳は慈悲・利他心に満ちた人間力のことである。とにかく、誠意や徳の無い、恥知らずな人間は本当に困る。共通の価値観に欠けるため、こちらが当然のように感じる恥を恥とも思ってくれず、会話がレベルとして噛み合わないから、なかなか“手強い相手”ということになる。
たとえば、世話になっても「ありがとう」が言えない。して貰うのが当然と思っているのだろうか…。また、間違っていたときに「ごめんなさい」が言えない。謝るのは屈辱だと考えているのだろうか…。そういう輩(やから)ほど、大事な話をのらりくらりとはぐらかす。話の主題を逸(そ)らしては、会話をうやむやにし、結局逃げてしまうのだ。そんなだから、約束を守らず、その場を取り繕ってはウソを重ねていくことになる。
要するに、口先で立派そうに語るだけで、誠意や徳は殆ど無いのだ。常に巧く立ち回り、得になる方(損をしない方)や都合のいい方に付く。知識や能力があっても、ただ世渡り上手(逃げ上手)なだけで、その損得勘定の判断力は呆れるほど見事と言うほかない。
あるいは、自分探しや人生キャリアを積むためだったり、勝敗を競うゲ-ムのような感覚のみで選挙に出たりする人間もいただけない。天下国家に対する危機感から政治家になろうとするわけではなく、世の為人の為という原点(種)から出馬するのでもない…。
しかし世の中には保守良識派がいる。保守とは元来、愛国心と良識を持った人たちのことで、良識に欠けたまま右翼思想だけ身に付けると、文句の激しい批判屋で終わりかねない。
志士政治家は、まず誠意や徳のある人たちと仲間になって欲しい。保守良識派を着実に集めることによって、王道政治(徳の政治)を興すのだ。他党や他勢力に対する攻撃性の強い発言ばかりが目立ち、選挙をやればやるほど怨みや憎しみ、妬み等を増幅させてきた「政治の旧弊」を、その“保守良識力”によって打ち破らねばならない!
この自分も、自分に出来ることで世の中の役に立ちたいと願う良識派はちゃんといる。人は強制されることを嫌がるが、人生意氣に感じれば、自発的に動き出す良識派は想像以上にいるものだ。良識派は、オホヤケ(公)の意識を持っている人たちの集まりであり、良識派の国民がいるならば、公益を重んずることで天下国家を救い、困っている国民を助けたいと志す良識派の政治家も必ず出てくるはずである。我々有権者は、その中から「押し政治家」を見つけたら良いと思う。
その広まり方は、富士山の姿がお手本になるだろう。頂上の10合目が最高の熱意を持っている自分と同志たちであり、裾野がなだらかに広がっていくように、志民や良民が「良識の輪」として続いていくのである。「2・6・2の法則」に置き換えれば、上2割が同志となり、中6割を味方に付け、下2割にも共感者が現れてきて、良識の「大同団結の輪」が築かれることになる。
王道政治家を、どう見分けるか。人徳の高さはもとより、日本の国柄への深い理解があるかどうかが肝腎となる。国是三綱領(共生文明の創造、高徳国家の建設、公益経済の確立)が政治家魂にしみこんでおり、それに基づいた建設的提言がなされ、その実現に本氣かどうかだ。すなわち、言っている事とやっている事が、一緒かどうかが見極め所となる。
(政経倶楽部連合会 総研レポート第93号 令和7年1月28日より)